被災者の方々には甚だある意味では大変に申し訳がないのだけれど
既に2年4ヶ月が経った今ごろなのだが、同じ日本人として目の当たりに
しておかなければならない気持ちに駆られていた。
この日は盛岡駅でレンタカーを借り、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、
南三陸町と予定し、くりこま高原駅から帰途。
東北自動車道を一路釜石へ |
予期せずその日は両陛下の 岩手県被災地への行幸を心待ちする住民 交通規制にぶつかり釜石は断念する |
山間部を抜け海岸線に出るや |
運動場であっただろう、照明灯 |
集団移住地の造成なのだろうか? 復興には何かおぼつかない |
遠くの「奇跡の一本松」も とても空しく映る |
目の当たりにすると 全く違う感慨とショック |
「復幸マルシェ」の食堂の主人は 「これ以上、何を頑張ればいいのか…」と |
気仙沼線はどこも殆どが寸断されている |
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