2011年4月21日木曜日

気になる<原発>文字の渦…。

◆元首相 中曽根康弘さん 
                                        (毎日新聞インタビューで)

『被害は甚大だが、対策が十分でなかった点は反省 すべきだ。
幸い東北の皆さんは、絶望することなく 新 しい東北を建設しようと
している。政治もその方向で、具体的な方法を検討し実行に乗り
出すべきだ。』

『私は総理を拝命した時、直ちに…幹部を呼んで、非常事態の
危機管理をどう考えているかを確かめた。…我々は戦争経験者
だから…』

『今、連立を作ろうとという意義は薄い。国運を問われるような
重要事態に、初めて 連立の意義が出てくる。さもないと権力に
よる野合と取られやすい。』

『…地震、津波、原子力という三重被害はある意味で最大被害
だが、想定外だという考えは浅い。…いつも非常事態だという
発想で、新しい構えを作らないといけない。』

不幸なことだったが、原発推進(姿勢)が揺らいではならない
エネルギー事情や科学技術の進歩を考えると、この苦難を突破
し、先見として活用すれば、日本の原発は強固なものとして発展
すると思う。…』



◆「国策民営」日本原子力戦後史のツケ 
                                                                     毎日新聞「特集ワイド」 

<ポツダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な
協力申し出ができるのではないかと思う>
早稲田大学、有馬哲夫教授が05年、米ワシントン郊外の国立第2
公文書館から発掘したCIA機密文書の一説 である。

「ポツダム」とは当時、読売新聞社主、日本テレビ社長だった
正力松太郎の暗号名。
原子力委員会の初代委員長で「日本の原子力の父」 と称される人。

「戦後、CIAは正力氏と協力して日本で原子力の平和利用キャン
ペーンを進めた。彼が政財界とのコネを持ち、メディアを使って宣伝
できたからです。」

米国は当時ソ連との冷戦時代で優位に立つため原子力関連技術を
他国に供与して自陣営に取り込む戦略だった。
特に唯一の被爆国日本が受け入れることは戦略的に、大きかった

正力氏は「首相の座を狙うための政治キャンペーンでもあった。」

54年に日本初の原子力関連予算を要求したのは当時、改進党の
中曽根康弘元首相 等だった。
この予算が衆院を通過したのは、ビキニ環礁での米国核実験で
漁船員らが被爆した「第五福竜丸事件」が明るみになる約2週間前。
ギリギリの日程で予算を通す

中曽根氏は関連法案を次々に通し、科学技術庁(現文科省)
の初代長官に就任した正力氏と原子力事業を推進した。

70年3月14日、日本初の商業用軽水炉、日本原子力発電の敦賀
1号機が大阪万博開幕に合わせて稼働し、会場への送電を開始した。
(正力氏はその前年に他界)

続いて新エネルギーとして注目したのは、73年の第1次オイルショッ
クと前後して資源外交を進めた田中角栄元首相

田中角栄 封じられた資源戦略」(草思社)の著者山岡淳一郎氏

田中元首相は自民党幹事長だった69年、東電柏崎刈羽原発の
誘致に動き、首相時末期の74年には原発の立地支援のための
交付金などを定めた電源3法を成立させた。

「建設業界、電力業界、官僚、学会が右肩上がりの需要予測を
利用して原発を推進した。
 『列島改造』に原発が組み込まれた

田中元首相は、米国依存から原子力大国フランスにもパイプを
築きウラン資源確保や再処理技術のも触手を伸ばそうとした。

97~09年に原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長
の吉岡斉教授は、自民党一党で安定状態で通産省(現経産省)も
原発継続に強い意志を持っていて、スリーマイル、チェルノブイリ
の2度の事故の影響も日本では限定していて、世界の情勢に逆
行して拡大していったのは政治と行政の特殊な構造があった、
という。

90年代初めのバブル崩壊以降は電力需要の低迷で、原発建設
もスローダウン、電力自由化で岐路に、補助金漬けの原発は財政
的にも問題で電力自由化に逆行し、特に金のかかる核燃料再処
理事業をやめろとの議論も出てきた。

05年頃には原発継続の方向で固まり、市場原理でいえば原発は
成り立たないし、電力会社も腰が引けるが国策に従った。

95年の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故後の97年
に設置された科学技術庁、高速増殖炉懇談会でも、議論のさなか
自民党が存続方針を出して 懇親会も追認してしまった、という。

政治に利用され続けてきた原子力。それは資源小国ニッポンの宿
命だとしても、代償はあまりにも大きかった、と結ぶ。


◆技術が安全なはずがない 
                             評論家・西部 邁  (毎日新聞)

『東日本の東海岸における防波堤の決壊や原発施設の崩壊は、
「知識は、その部分性においてのみ、確実だ」(M・オークショット)
という真理を明らかにしている。つまり、知識の前提や枠組みの
外で予期しない事態が発生したら、技術はもうお手上げ ということ
である。』

『現代の技術知は、工学や経済学の方面で特に、未来の不確実性
は(確率的に)予測されうるとして、それをリスク(危険)と呼んでいる。
その未来を確率的に予測するというのは知的詐術にすぎない。』

『未来は予測不能なものとしてのデインジャー(危機)に満ちている。
危機に何とか対処できるのは人間組織であって、情報技術ではない
このことも今回の大震災は明らかにしてくれた。』

人間組織を支えるのは、技術知よりもむしろ、プラクティカル・ナレ
ッジ(実践知)であるそれは、過去における経験への確実な解釈
と未来に対する想像力豊かな洞察とによってもたらされる。』

だが、実践知もまた常にフォリブル(可謬的)、つまり「間違いを犯
しうる」のである。
だから、常に危機をはらみいつも誤謬にさらされるものとして技術が、
安全であるはずがない。』

『「安全な技術」を要求するたとえば反原発派も、「安全な技術」を宣
伝するたとえば原発推進派も、同じ穴の技術信仰にあるといわざる
を得ない。…
自動車であれ薬品であれ食品であれ、技術の産物に安全ということ
はないのである。』

『そうであればこそ、「文明の被害」が毎年4桁の交通事故死者をはじ
めとして、死屍累々である。これに技術信仰の産物と思われる(毎年
3万人以上の)自殺者などを加えれば、そしてそれらを世界全体で集
計すれば、第二次大戦後だけでも、「文明の被害」に遭った人命は1億
にのぼるに違いない。』

『それにもかかわらず、我々は、この大地震における3万人近い死者・
行方不明者と放射能の止めようのない漏出に、かつて無い驚愕と
不安を覚えている。
なぜか。それが「日本国家の危機」であることを、強かれ弱かれ、日本
人が感じ取っているからだと思われる。
国民は自らの国家の危機を座視できないのだ。』

『人間組織の臨界は、少なくとも実践知の脈絡で見るとき、国境線と
ほぼ重なっている。
他国の義援は「トモダチ」とやらからの国際儀礼の域にとどまる。』

国家を守るための国家内の人間組織を破壊するのが平成改革の
趣旨であった。
そうした時代への反省が復興のためにも必要である。』


◆「原始力」に席を譲った原子力  
                                                       評論家・長崎 浩氏 (毎日新聞)

『…原子炉あるいは使用済み核燃料プールで現に何が進行しつつ
あるのか実は誰も知らない…。…早期の情報開示が要求されても、
そもそも情報が得られないのだ。』

『この段階で専門家が登場して「まだ安全だ」「もう危険だ」と解説し
ても、すべてはデータに基づかない推測 …。』

『…危険が現出し、しかもその危険の進行具合をだれも知らないと
いう二重の危機…。この状態が少なくとも2週間続いたが、基本は
現在でも変わっていない。』

『…ごく初期の段階で、権限を持つ機関がこの危機の存在を明解
語り、責任を負うと厳粛に宣言することで、国民に信頼される
ような広報をすべきだった。』

ところが今回は出はなで広報が崩壊…、単なる情報報告係の
役割…。これにもひとつの危機を見た。』

『…科学技術の粋を集めたシステムが沈黙して、水をかけて火を
消すという人類古来の力に頼らざるを得なくなっている。…原子力
が「原始力」に席を譲ったのである。』

『地震は天災、原発事故は人災といわれるが、ここでいう人災は、
科学技術ではしなくも露呈させてしまう危険として、今回の事態は
まさしく人災なのだ。』

『科学技術文明は自然を征服し、自然を人工物で置き換えてきた。
…ところが今回、文明生活の前に突如として姿を見せたのは、忘
れたはずのなまの自然、大文字の自然であった。』

『もともと科学技術の進化は目的を設定できない。やれるからやる
だけなのである。』

見境のない科学技術が経済成長を支えて、全世界が単線列車に
乗って突き進んできた。外部からこれにブレーキをかけるようにして
大文字の自然が出現してくる

現に震災以来東京の駅も街も電気を落として暗い。大自然に直面し
て、科学技術文明はこんなふうにして自らを変えていくのだろうし、
そうすべきなのである』と結ぶ。


◆事故の背景に 批判拒む傲慢さ 
                             原子力ムラの閉鎖的体質 
                         日野行介・毎日新聞記者

◇事故の背景に、批判拒む傲慢さ

東京電力福島第1原発の事故の取材応援で、東電や経済産業省
原子力安全・保安院、内閣府原子力安全委員会の記者会見に何度
も出席した。そこで強く疑問に感じたのは、「想定外の事態」や
「未曽有の天災」という決まり文句を盾に、決して非を認めようとしな
専門家たちの無反省ぶりだ。これまで不都合な警告や批判を封じ
込め、「安全」を自明のものとして押し付けてきた業界の独善的体質
が今回の事故の背景にあると思える。

◇言葉は丁寧だが決して非認めず
「大変なご心配をおかけして申し訳ありません」。東電の記者会見は
必ずと言っていいほど謝罪の言葉が出る。だが、「多重防護」を誇って
きたはずの原発の安全性自体に疑問が及ぶと、会見する幹部の態度
は途端に硬くなる。言葉は丁寧だが、非は決して認めず、自分たちの
言い分だけを強調する。都合の悪い質問には、記者をにらみつけな
がら木で鼻をくくったような対応をする幹部もいる。

こうした会見の模様はテレビやインターネット動画でそのまま報道され、
政府の対応への不信とも相まって、国民は「本当に大丈夫なのか」
「うそをついているのではないか」と疑念を募らせている。

私は02年から3年間、若狭湾に原発15基が林立する福井県敦賀市に
勤務した。
「原発銀座」と称される地域で、取材の最重要テーマが原発だった。

取材で接した原子力の技術者・研究者たちの印象は決して芳しいもの
ではない。
都合の悪い問いにまともに答えず、批判的な意見に耳を貸さない尊大
ぶりが印象に残った。

高速増殖原型炉「もんじゅ」(敦賀市)の設置許可を無効とした名古屋
高裁金沢支部判決(03年1月)の際には、電力会社や研究者が業界を
挙げて判決を攻撃した。
判決に関する討論会で、推進派の大学教授が専門用語を駆使して野党
の国会議員をやり込めた後、会場の片隅で「素人のくせに」と仲間内で
笑い合っているのを見た。

ある地方テレビ局が数年前、原子力に批判的な研究者をドキュメンタリ
ー番組で取り上げたところ、地元電力会社が「原子力を理解していない」
と猛烈に抗議した。
番組はこの電力会社を直接批判する内容ではなかったが、テレビ局は
広告主の抗議を無視できず、記者による定期的な原発見学を約束した。

この件について取材した私に、電力会社の役員は「(原発が)いかに
安全か理解していない。『反省しろ』ということだ」と言い放った。その傲慢
な態度は、今回の事故を巡る会見で見た東電幹部と重なり合う。

◇官民にまたがる狭い人脈社会
なぜ、こんな体質が醸成されるのだろうか。
原子力の技術者だった飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長は、業界
の実態を原子力村(ムラ)」と名付けた。大学や大学院で原子力を学んだ
学生は、電力会社やメーカーに就職したり、国や立地自治体の技官になる。
就職先は担当教官の意向で決まることが多い人脈社会で、彼らは官民に
分かれても「ムラ」の一員として育っていく

原発関係の事故はメディアで大きく報じられる。市民団体などの批判にさら
されることも多い。“被害者意識”から、彼らは批判を「素人の意見」だと一方
的に決めつけ、独善的な専門家意識を強めていくのだろう

原発の安全規制は、保安院と原子力安全委員会による「ダブルチェック」
体制とされる。しかし現実には十分機能していない。チェックする方も、される
方も、同じ「ムラ」の構成員なので、業界全体の利益を守ろうという意識が働く
保安院に至っては、原発を推進する経産省に属するという構造的問題を抱え
ている

組織の名称にしても、米国は「原子力規制委員会(NRC)」なのに、日本の
機関には「規制」ではなく「安全」が使われている
「原子力は安全」という宣伝を優先するあまり、規制や監視という視点が欠落
していたとしか思えない。

今回の事故を受け、保安院を経産省から分離する組織改革がようやく検討
される見通しとなった。必要なことだとは思うが、組織いじりだけでは専門家た
ちの体質を変えていくことはできない

これまで私たちは原子力の問題を「専門家の世界だから」と、直視することを
避け、「ムラ」に委ねすぎてきた。だが今回の事故で、放射能への不安から電
力不足問題に至るまで、原子力が一人一人の生活に密接にかかわることが
明白になった。もう無関心は許されない

2 件のコメント:

  1. 去年の豪雨災害、今年の東日本大震災に直面し、今、仕事、生活の両面でリスク分散を考え続けています。想定出来るリスク以上のことが起きれば意味は無いのかもしれませんが。一番近い原発まで350キロの奄美ではありますが、巨大震災が起これば、島に石油も入って来ないかもしれないし、エネルギーをどうするのかということは、ローカルな問題ではありますが、心配です。もちろん地元メディアでこんなことは取り上げられることも無く、みんなどう考えているんだろう。

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  2. blue treeさん、実にわさわさと不安で安定しない精神状態で落ち着かきませんね。東北の方たちに申し訳がありません。島の電気は火力なんですよね。半世紀前はどんな暮らしだったんでしょかね。戻るのは難しいけど何かヒントがありそうな。それと先進の太陽光自家発ですかねー。どのくらいカバーできるんでしょうか。市はどう考えているんですか。

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