2010年11月15日月曜日
1950(昭和25)年頃撮影の境川河口。
机の中を整理していたら、数年前に週刊誌(文春?)からか切り取って
おいた境川河口(現片瀬漁港周辺)のコピーが出てきた。
(シリーズタイトルが「失われた日本、忘れられた日本人」らしい。)
ちょうど海開きの神事らしきが左寄りの葦簀張り(ヨシズ)のステージで
行われているときの写真。
いまでこそこの周辺の海の家は軽量鉄骨で統一されているがこの当時
は当然すべて葦簀張りだ。
台風が来れば吹っ飛ばされた。
漁船や櫓漕ぎの和船があったり、ディンギが浮かんでいるのが何か違和
感を感じるが。
江ノ島に通じる桟橋だって丸太の木製だったので、でかい台風が来るたび
に流されていたように思う。
134号線の脇に防砂林もなく、今よりもっと奥行きのあった海岸から砂山が
続き、その砂山が道路へと直接繋がっていてた。
そこを米軍の大型車両(前2輪後ろ8輪)を「10輪、10輪…」と僕たちは呼
び、辻堂付近の演習地から横須賀か本牧まで行き交うながーい縦列をみて
はしゃいでいた。
しょっちゅう演習地や沖に停泊する軍艦からドーン、ドーンと模擬爆弾の音
が地鳴りのように聞こえていた。
まさに「ギブミー、チョコレート!」の時代だ。
たった60年前か、既に60年前か…?
そこを基点に僕たちはいまカヌーを漕いでいる。
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