2011年3月2日水曜日
背番号7、逝く。
元読売巨人軍の名外野手、3代目の背番号7
ウォレス・カナメ・与那嶺氏が85歳で亡くなった。
マウイ島生まれの日系2世。
高校卒業後サンフランシスコ47ersでアメフト、怪我をしてマイナー
・リーグを経て ’51年に来日し巨人軍に。
巨人時代はアメフト仕込みの身体をハッたスライディングでジェント
ルな面持ちとは逆にアクティブな野球を日本プロ野球に吹き込んだ。
首位打者3回、’57年にはMVPを獲得した。
’62年に水原茂から監督を引き継いだ川上哲治氏から戦力外を告
げられ自由契約になり、2年間中日ドラゴンズでプレーし、コーチから
’72年にドラゴンズの監督に昇格し、’74年には川上巨人のV10を
阻止し、20年ぶりにチームをリーグ優勝に導き、きっちり川上氏に
借りを返した。
その後巨人のコーチに戻り、南海ホークス、西武ライオンズ、日ハムと
豊富な経験が買われた。
巨人軍の背番号7はその後、大橋勲、柴田勲、吉村禎章、二岡智宏
らに受け継がれ、そして今は期待の長野久義が2010年から付けて
いる。
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