2011年3月29日毎日新聞夕刊「特集ワイド」
巨大地震の衝撃 日本よ! この国はどこへ行こうとしているのか
に、以下の要約のように…
「日本の浮沈にかかわる巨大災害になってしまった」
「やるべきこと、学ぶべきことは山ほどある。ではどうするか」
「あらゆる前提条件が破られた。前提条件とは、いつか破られるもの。
この震災の教訓は、そこにあります」
「自治体や企業が防災を考えるときに、どこかで線引きをするのはやむを
得ない。…財政的にも不可能…。……ところが現実には、線引きを絶対視
してしまい、それに応じた対策をとって安全としている。ミニマム(最低限)で
あるはずの前提条件が、いつの間にかマキシマム(最大限)になっている。
ここに落とし穴があるのです」
電力会社が誇る「多重防護」はあっけなく突破された。
「そもそも歴史は想定外の繰り返し…。(第二次大戦での教訓が)私たちの
思考に、この負の遺産が受け継がれてないのでしょうか」
最も根源的な「では、どうするか」が残っていた。主語は日本人である。
「ハッキリしていることがある。災害、巨大事故、加えて薬害、公害。
こうした分野においては『効率主義』は危険だということです」
特に80年代以降、国や自治体の財政が悪化し、企業の生き残り競争が
激化する中で、人減らしや組織をスリム化する効率主義が「闊歩」する
ようになった。
けれど、効率化という目標の前では『前提条件がもし崩れたら』という
発想は排除され、次善の策も『ありえないこと』として削られる。それでは
災害は防げない。どんな組織・システムも遊びや余剰部分があってこそ
安全を保てるのです」
そしてこう結んだ。
「防災にかかわる分野での効率主義との決別。これは国の思想の転換、
思想革命です」
「3・11」の前なら拒絶する人もいただろう。でも今なら実行できる。いや、
しなけければならない。一人でも多くを災害から救うために。
とありました。
しかし、災害だけの効率主義との決別で良いだろうか。
企業の非正規雇用や受注生産主義、丸ごとアウトソーシング(外注)、一貫
性のないフェーズごとに切り裂かれたシステム、また大きくは国の安全保障、
自衛隊(≒軍隊)の存在意義、地方自治等々…曖昧で半端な論議で逃げて
きた我々が、改めて受け入れるか否か、この国と我々国民の「覚悟」 が
本当に必要な時代がきたと痛切に感じています。
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