2012年1月23日月曜日

福島には届かない、Ben Shahnの絵。


先日行った、葉山の県立近代美術館で開催中のBen Shahn展。
このあと名古屋、岡山、そして福島と巡回するのだが、500点の展示作品のうち
海外からの70点は福島には行かない。
理由はやはり放射能だ!

このBen Shahn展で「重要な位置を占める」'54年に起きた南太平洋でアメリカが
水爆実験をしたその近くで操業していたマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝し無線
長の久保山愛吉さんが亡くなった。

これに触発されてシャーンが描いたシリーズ「ラッキー・ダラゴン(福竜の英訳)」
を所蔵している福島県立美術館の荒木康子館長が「最も福島に来て欲しかった
作品」はNY近代美術館蔵のこの写真のパリ「解放」を描いた作品だ。
「廃墟の鉄柱にぶら下がって遊ぶ子供たち。

表題とは裏腹に表情が暗く、うつろだ。背景に壊れたビルとガレキ。
『これ、今の福島と同じだなと思うんです』と荒木さん。
無邪気に見える子どもが、変わり果てた街から鋭く感じ取る不安。
確かに似ている」と。

2012年1月22日日曜日

SLC新年会。

昨晩は
SLC(湘南ロングボード倶楽部:H社の波乗り愛好会)の
藤沢市内在住の
メンバー6人で忘年会に変わる新年会を
Diego by the Riverで開催した。

僕を含めOB3名(うち1名は他社OB)、現役3名。
風雨の強い夜だったが、楽しいひと時。

健康管理から厳しい会社事情、そして今年こそ
みんなでサーフトリップを計画しようなどと・・・。

僕はデザートの苺のショートケーキまで。




2012年1月21日土曜日

今年最初のニセコからのパン。


ニセコのMちゃんからのパンが届いた。

カンパーニュ

カボチャのパン

黒豆パン

玉ねぎ&ピンクペッパーのパン

白小豆のあんぱん

お友だちMさんの入籍祝にのパン



ニセコは10年ぶりの寒さとか・・・

2012年1月20日金曜日

初雪(?) 、あすは大寒。

雪、雨、雪・・・
以外に暦通り。

2012年1月18日水曜日

Ben Shahn展


美術館前のハヤマのオヤマ。
秋模様にも見える。

今日は全く偶然にも、葉山の美術館にでも行ってみようかと調べたら
Ben Shahn展をやってることを知り早速行くことにした。


告発し、時代を切り取ったアーティストでありデザイナー
<ラッキー・ドラゴン>
「私は久保山愛吉という漁師です。・・・」という
文章が書かれている。

「我々は何が起こったか知らなかった」

















中でも福島県立美術館が所蔵する「ラッキー・ドラゴン」(1954年3月1日
にビキニ環礁の米国による水爆実験で被曝した第五福竜丸のことを)
で犠牲になった久保山愛吉さん(?)のテンペラ画にはショックを受けた。

いま生きていたら、彼はこの震災による原発事故をどのように表現した
だろうか。




右の写真から左の絵に。

右の4枚の写真を合わせて左の絵に。
写真手法や石版画技術を身につけていた彼は、生き生きした写真を
モチーフにした大胆な社会派の絵画スタイルを構築しつつあった。



<これがナチの残虐だ>
後に戦意高揚のプロパガンダに
使われたとして後悔したそうだ。


パリ<解放>
恐慌時代、第2次大戦時代と困窮するNYCのロウワー・イーストサイドの
労働者階級の暮らしぶりを記録として撮りそして描いた。
『芸術を社会的・政治的な変革をもたらすためのツール』とすることを
目指した。

<警告!インフレーションは不況を意味する>



左翼芸術家で社会活動家と評されていた彼も、F.D.ルーズベルト大統領
のニュー・ディール政策の不況で農地を失った農民の復興キャンペーン
に写真家として登場した。
40年代には産業別労働組合のグラフィック・アート部長としてルーズベルト
大統領の再選を支援するポスターなどを手がける至ったなど興味深い。



Chicago Style Jazz(LPジャケット)
アルバート・シュバイツアー  Bach(LPジャケット)


装丁「伝道の書」の挿画


* 展覧会の構成


2012年1月16日月曜日

思考錯誤。

「不惑」の時が来ないボヘ爺(ボヘミアン的爺)の今年の研究テーマは
移住+コーポラティブハウス。
これまた自立とは言えないが気の合った者同士で終の棲家に住むということは
どういうことか考えようと思い、そのハード面のそもそもの入門書を購入した。

大学の建築デザインコースの通信講座というのも選択肢として検討中だが
当然ながら諸々の履修科目があり、この具体的なテーマに行く着くには
一年以上の時間を要することになる。
それが大学なのだが・・・。

考えてみれば、建築のこともさることながらそれ自体の構想や出来上がるまでの過程、
出来上がってからの運営、権利や義務などの契約、法的問題などの方が大きな課題
なのだ。

果たして、同じニーズを共有できる仲間がどのくらいいるものかがそもそものスタート
なのだ。


Life is very short,but・・・

もちろん国も調べてないはずはないと思うけど・・・、一NHKができる
調査なんですから。福島から銚子の海底泥のセシウム、東京湾の
汚染も既に想定内のはずだから。


国内問題だけでも国民の健康保障と生活、暮らし(年金)の保障と
どちらを考えてもえらいステージの上に私たちいまいるんですね。
その上、まだ経済のための原発稼働もあるというし。

生活のそのものの大きな転換点にいるんだ。ある人が新聞で言って
いたけど、絆なもいいけど、改めていま本当に必要なのは強い自立心
なのだろう。

2012年1月14日土曜日

和食でBOURGOGNE。

和食でBOURGOGNE、ピノ・ノワール。

2012年1月12日木曜日

京都造形芸術大学入学案内届く。


2009年に定年延長の勤務を途中で止めて、高校時代に成りたかった
建築家の勉強を人生の締めくくりにしてみようかと、同大学の通信教育を
やってみようかと案内を取り寄せて検討したことがあった。
しかし、その年はもう1年のミッションが与えられたので諦めることになった。
一昨年、昨年とも長野への移住などと夢を追って(いまもあるのだが)いて
検討することもなかったのだ。

しかし、この移住の夢は諸般の事情で中々許されずおいそれとはいかない。
去年の暮れあたりから、これも夢のまた夢なのだが、親しい友人と終の棲
家を一緒に作り、住むというのはどうだろうかと酒を酌み交わしながら話に
なり大いに盛り上がったのだ。

周りには悠々自適に暮らしているご老人たちももちろんいるのだが、大方
は理想通りには行っていないように見える。
昨今は年老いて要介護になると家族内では面倒が看れない風潮と世の中
になってきた。
ご多分にもれず僕たちもあと10年以上生きていればその先にはそのような
対象になる可能性は大なのだ。

かと言って、既存の有料老人ホームに入る、いや入れらるのも今は全くイメ
ージができないし、されたくないと。

友人と話しているのは、年代別でニーズやセンスの合致し気の合った夫婦
(基本単位)5~6組程度が金を出し合って自分たちの終の棲家をつくること
を事業化できないかという半分遊び、半分本気のプロジェクトをでっち上げよ
うということになった。

事業化計画は元より、土地も何もまだ定まらないし、一から絞っていこう
というもの。
そこで僕としては3軒目の終の棲家の基本設計とまで行かなくとも構想を練り
たいと思った。そのためには建築の基本的なルールを身につける必要もあり
この大学の建築デザイン科が再燃したわけなのだが。
問題は4年間もかけられない、プロジェクトが明確にあるのでそのニーズに
沿って学習できるかが最大の問題になる。
近々オリエンテーションに足を運び可能性を探りたいと思う。

しかし、スクリーニングで京都にちょくちょく行けるのは楽しみでもある・・・。

2012年1月10日火曜日

年の初め(まとめて)

今年の年賀状に入れた
我が家の掛け軸。

龍の船に乗る七福神。


いつも散歩で通る
Season's Flag を挙げるお宅。


元旦 

今年も我が家と妹家族、
総勢9人揃って迎えられた。
ありがたい。


家内が暮れの29日あたりから
コトコト作りだしたおせち。

今年は雑誌を見て
京都「菊乃井」の料亭おせちが参考だそうで・・・、上出来。






2日

駅伝が藤沢を通過する頃
氏神様の鵠沼伏見稲荷にお参りに。

4日

八白土星の1月は北、北東が吉方
ということで
藤沢白旗神社も参拝。



7日 

お飾りを外す。

去年亡くなったダークダックスの
パクさんの
一周忌にお線香をあげさせてもらう。


8日
 
今年初めての辰の日ということで、火災、厄除けで
   いつものように屋上、外壁・・・に散水した。