2011年11月30日水曜日

記憶に。

無残ですが、記憶に残すべきことなのでしょう。

改めて尊い家族の命を奪われ、生活の場を奪われた人々の
一刻も早い復活を願ってやみません。



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2011年11月29日火曜日

パクさんのレシピ。

この1月に亡くなったパクさんことダークダックスの高見澤宏さんの
料理好きは玄人はだしで材料から吟味され、それこそサッポロ黒
をやりながら、一日厨房に入っていらした。

正月の御節はすべてと言っていいほどご自分でなされて、これが
量といい、美味しさといい訪れたひとを魅了した。

その他夏のBBQや秋の芋煮会とすべて陣頭指揮で何処とも違う
レシピが用意されていた。

そのパクさんが残されたレシピの一部をベニスビーチに住む娘の
Maiちゃんとご主人にディーンさんが編集されブックレットにされ、
きょう朝奥さんのHiroさんがわざわざ届けてくださった。
レシピ(第1段?)はシンプルな料理がメインだが、そこに画家を
目指したというディーンさんのこころを込めたイラストが各ページに
彩られていて、とても爽やかに新鮮に蘇っていた。

以前パクさんと冗談で、「喰い物屋をやってくださいよ!皿洗いし
ますから…。屋号はパクトラン(Pac-taurant)っていうのどうです?」
なんて言ったら、「いいねー、やろやろ!」って笑ってたのが思い
出される。





Pakusan On My Mind

2011年11月27日日曜日

今年の仏像教室作品展。(11/26、27@長谷寺)

今年も秀作61点勢ぞろい
僕のはそうも言えないので60点かな



下は気になる秀作たち

瑠璃観音

天燈鬼
龍燈鬼

上3作は同作者
人気の阿修羅

阿修羅と多聞天
(同作者)

散脂大将

地蔵菩薩

大森先生の如意輪観音石膏像
計画の木彫はこの2倍の大きさに

いっこうに進まない
僕の地蔵菩薩石膏像
後ろに粗彫






















 http://www.youtube.com/watchv=46iCC7SEZdM&feature=youtu.be     

http://www.youtube.com/watch?v=LzC4fIwS96I&feature=youtu.be


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2011年11月24日木曜日

Kahuna (コッカプー) かわいいふたり!

こんなの見たら…
たまりません!

Maila&Kahuna

立川談志逝く。

立川談志さん、また真(芯)のある戦中派、天才落語家が亡くなって
しまいました。こともあろうにこの間伊豆の帰りにクルマの中で師匠
のCDを聴かせてもらいました。声がかすれてましたが時間の経つ
のを忘れるくらいでした。
「現代とは居心地が悪く、けしからんものだ。」と。確かに。

葬儀なしで、骨は海にと…。<立川雲黒斎家元勝手居士>(本人が
つけた戒名、タテカワウンコクサイイエモトカッテコジ)。合掌。

2011年11月22日火曜日

戦中派はカッコいい!?

きょうのBSプレミアム。80歳の誕生日にとアンダルシアで10年ぶりに、
それも憧れのアンダルシア馬を乗りに行く旅をした宇津井健さんと
いい、昨日やはりNHK①に出演した、戦後酷い目にあいながら引
き上げても未だにハルビンが故郷と思い、そして今なお出来れば
住みたいと言い切り、ひたすら演技仕事し続ける宝田明さん(77歳)
といい、戦中を通った男の背筋は、僕たち戦後派の何も本当の社
会の修羅場を知らない者たちと違い一本筋が通っていて実にかっ
こいい!実はある意味幸せで、真のある時代を過ぎてきたからか
も知れない…。

2011年11月19日土曜日

荒天。





前線を伴って発達した低気圧のため風雨が強く、長谷寺での
初日は中止せざるを得なかった。

段ボールBUTSUも急遽堂内に避難。天気の回復を待つ。

鎌倉長谷寺、段ボールBUTSU展示。(11/19~12/18)

今年も3体の使用済み段ボール像をLED照明を駆使して、
動きのある表現に。
昨年も展示した
百済観音像

法隆寺、夢違観音像を
モチーフに作られた像

ふたつの観音像を眺める
長さ280cmの釈迦涅槃像

立体での表現は中々難しい像を
ボリューム感でカバーした苦心の作
(長谷寺山主たっての依頼であった)

http://www.youtube.com/watch?v=ygW1FloqT1w&feature=youtu.be


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2011年11月17日木曜日

伊豆石の採掘場探検

11月13日、伊豆で…


南伊豆のとある山のケモノ道のような細いところを
降りること100mくらいのところに忽然と現れる
伊豆石の採石場跡

W15m×D8m×H15m以上ある大空間

何ヶ所かに天窓のように
そとの光が射し込む

ここは劇場のような…、人造Power Spot!

            ***伊豆石とは





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2011年11月14日月曜日

カヌー発祥の地(!?)調査隊


11月11、12、13日と南伊豆にアウトリガーカヌー調査隊と称し、湘南から

OC-6(6人乗り)を持ち込み、現地の東海大学のNOBUO先生の計らいで地元

教育関係者や有力者、中学生たちに試漕体験をしてもらい、アウトリガー

カヌーの歴史や湘南での活動、ハワイでの展開などを説明した。 
 
 
体験頂いた方々からは揃って6人乗りのカヌーの教育的な視点や生涯

スポーツ、観光体験的要素としての可能性を口々に語って頂けたので 

今回第1次調査の感触は概ねこれからの考える糸口を得たというでは

初期の目標は果せたのではないだろうか。


しかし、南伊豆で展開する場合の運営責任母体や採算性、係留場所、

艇庫等の基地的要素の可能性に関しては地元関係者と時間を重ねて

可能性を探りながら、理解を深める必要がある。 

 
南伊豆町の弓ヶ浜に関して言えば、以前ジェットスキーの展開で痛い
 
経験をしているため新しいモノの参入に対してナーバスになっている

ため慎重を期すことが肝要。


僕たちの展開しているアウトリガーカヌーの活動はまだまだその可能性

の一端しか行ってなく、これからが愛好的な層を核にどのような方向に

広がりを見せることかということを考える大事なステージになるのだろう。


興味ある日本のカヌーの発祥の地、としての<南伊豆>

伊豆の山間部には「狩野川」という川が流れ、駿河湾に注いでいる。
水中考古学者・茂在寅男博士は、この川の名前の由来を「カヌー」
(日本語で言う「狩野」)を作るために切り出した木をこの川の水流に
乗せて海辺へ運んだため、カヌーの材料を運ぶ川ということから
「カヌーの川」と呼ばれるようになったのではないか。
そして、「カヌー」に「狩野」という漢字が当てられ、「狩野川(カノガワ)」
という名称になったのでは、と考えた、とされる。

 『古事記』や『日本書紀』には、ポリネシア語で説明した方が良いと
考えられる言葉が書き記されている。そのひとつが「枯野」(カレノ、
カラノ)という言葉なのだ。

「枯野」は『日本書紀』では「軽野」とも表記され、ある種の高速船を指す
言葉なのですが、茂在氏はカヌーか何かの当て字ではないかと考えた。
その後、井上夢間氏がハワイ語で「kaulua-nui」(「kau」は「舟」、「lua」は
「二つ」、「nui」は「大きい」の意)と説明できると述べた。
つまり、直訳だと「大きい二つの舟」ですが、この「大型の双胴船」は相当
広範囲にわたって使われていたようだ。

この双胴の大型カヌーが日本で使われていた頃、「kaulua-nui」が「カラノ」
や「カルノ」、「カラヌ」のように発声され、「枯野」や「軽野」、「加良怒」とい
う漢字を当てられたのではないかと考え

2011年11月11日金曜日

YoYo-Ma @横須賀芸術劇場

Tonhalle Orchester Zurich with YoYo-Ma


昨晩は横須賀芸術劇場にチューリッヒのTonhalle管弦楽団と
第1部にはソリストにYoYo-Maを迎え
ドヴォルザークのチェロ協奏曲 ロ短調


第2部はT.管弦楽団による
ブラームスの交響曲第2番二短調op.73


アンコールにブラームス ハンガリー舞曲

YoYO-Maは昨年までミューザ川崎でのこの時期の演奏会でしたが、震災で
天井が崩落し改修工事にまだ時間を要するということで会場を横須賀に移し
たようだ。

ここは初めて来てみたが、利点は何しろ以外に近いほぼ50分以内に着いて
しまう。

僕の好きなド1部のヴォルザークのチェロ協奏曲はさすがにYoYo-Maの存在
感は別格だ。

2部にはYoYo-Maが絡まなかったのが少し残念ではあったがT.管弦楽団の
ブラームスもやはりアンサンブルが自然で包み込まれる様で大変満足した。
席も一階の1ブロックのほぼ中央だったので臨場感も大変よく気持ちの良い
演奏会だった。

2011年11月8日火曜日

Kahuna (コッカプー) 2ヶ月ぶりのカット。

気取っているのか…

まつ毛がながーい!

2011年11月6日日曜日

軽井沢自然観察ツアー 11/05(04~06) #2


ツアーが終って、一緒に参加して頂いた
定住の友人Mさんがとんぼの湯で
ひと風呂浴びて帰ろうと誘ってくれた

この日は前泊のexivがいっぱいのため
無理を言ってMさん宅のロフトに
泊めてもらうことになっていた

夕食はきりたんぽ鍋をご馳走になる

(ロフトから1階のリビングを眺める)


翌朝は朝食前にMさんと愛犬ティピと近所を一回り

山肌には薄い雲かかっている

しっとりと雨のあとの素敵な散歩道

帰ると奥さまが母上とすっかり朝食の用意を

またまた美味しい朝食を頂き
9:30前には失礼し帰路に着いた

帰りは順調で3時間15分で
鵠沼に到着した

お土産にいただいた
ご主人お手製の五味子酒と栗ジャム

五味子酒は35度の焼酎漬けなので
きれいな色の割に強いので
食前酒として最適

軽井沢自然観察ツアー 11/05(04~06)

軽井沢野生動物問題研究所(クロス) の存在を正式には先週末に
FM軽井沢の番組にたまたまこの団体の打越綾子さんが出演して
いるのを聞き知った。

そして、軽井沢国際森林年記念事業として「黄葉のカラマツ林散策
と野生動物の痕跡探し」(東信森林管理署とクロスの共催?)の企画
を聞き、締め切り後であったが、直接メールを入れたところ快く受け
入れてもらえることになり、急遽参加することになった。
主旨は森林をめぐる植物と動物のつながりを楽しく実感すし(午前中)
また午後は下発地地区に移動し、里地・里山を歩きながら農山部の
抱える課題を考えよう、というものであった。

打越さんは成城大学法学部の准教授をつとめる傍ら、地元に住む
ことでこの事業を住民と一緒に考えるムーブメントを起こしている。

星のの奥の小瀬林道(長倉併用林道)を出発

林道からけもの道を上がると
眼下に湯川のせせらぎが見える

上には霞かけた浅間山

すぐに宿り木や

カモシカが角を研いだ跡や
(カモシカは牛の仲間と知った)
 

ツキノワグマの熊ダナ
(まだ葉があるころ枝を折って実をあさったため
葉が落ちずにドライリーフになっている)
 

熊の爪跡

チョウセン五味子の実

まだ上部には黄金色の
カラマツの葉が

まだ残っていたカエデ
イラストレーター谷口高司さんが特別に講師として参加。
(氏は鳥類図鑑は有名でスミソニアン自然史博物館から
指名発注を受けた経験がある)

野鳥の見方をせつせつと…

しかし残念だったが、時間的なことや
大人数だったので野鳥にお目にはかかれなかった
キツツキの巣穴を望遠鏡で見せて頂いた

林道に降りると
まだ真新しいツキノワグマのオトシモノ!
ドングリの殻が混じっていた

                   *** CROSSのBlg

午前の部終了
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下発地公民館に移動し昼食
そして午後の部


浅間山を背景に、長閑な圃部

そここに休耕地が目立つ

畑も草原で放っておくと森に戻ってしまう、と

ここにもTPPの心配が…

専業農家は19件しかいない!

畑には鹿の足跡が…
野生動物の被害は当然ある
農家にとっては有害動物となる

農家の年に一度の収穫をZeroにしてしまう可能性もある

知恵比べだ、戦いだ

まだまだ綺麗なグラデーションだ

軽井沢の三大美味しい野菜はレタス、キャベツ、トーモロコシ
そのわけは霧により乾燥を防ぐため
霧下野菜 はブランド名

なんと、20mはある木の上に
スズメバチの巣が
(今は蜂たちはもういない)

特別の許可を得て入った民有林の奥には
高さ20m以上の巨大な石の山が!
(古くに隆起したしたものと説明)

これはPower Spot!!
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ツアーが終って下発地の公民館に戻ると、地区の農家の方々が我々40人
にも及ぶメンバーのために地元でとれたそば粉で自らそば打ちを何時間
もかけて全員に振る舞われた。
まさにこの会が住民お互いを理解するコミュニケーションであって欲しいし
充分にその意を感じた。蕎麦は実に美味しかった。
しかし、残念なのは僕自身がまだ部外者だということだった!



最後に、軽井沢野生動物問題研究会が2009年11月に行った
軽井沢町野生動物問題住民意識調査についてのアンケート
の総括で打越さんは締めくくった。

町民の誰もが、それぞれ真剣な意見や価値観を持っているこ
とが伝わった。・・・・・もちろん保護から駆除まで幅広く、単純に
一本化することは到底無理で多様・・・・・。
しかし、意見の多様性こそが軽井沢の最大の財産。
社会における利害関係・価値観とは決して一枚岩であるはずも
なく、そうした多様な人材が揃っているのが、単なる田舎町とは
いわれない軽井沢の姿である・・・・・。
だからこそ、多様な意見を捨象して無理にビジョンを一本化する
のでなく、相対立し合う意見であっても、その一つ一つが大切な
情報と心得て、妥協と合意を真剣に模索し、そのための努力を
続けることが必要。話し合いを通じた地域のネットワーク・底力を
改めて高めていくことであると。そしてその主体は意見を持つ全て
の対等な町民である、と。


実に誠意と真摯さと柔軟さでこの特徴的な町・軽井沢を前進させる
しなやかなムーブメントが動き出していることが見え、今までと全く
違う視点でこの町を見ることができた有意義な一日だった。  


                  ***CROSSのBlg(後編)


後日、事務局より送られてきた
記念写真

 

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