2010年12月30日木曜日

大安飾り。


毎年28日に3ヶ所の神棚の〆縄飾りとお札の交換、
入口の輪飾りつけることにしていたが、
いつもの年より押し迫るのだが
ことしはきょう30日が大安ということで
きょうに残し、午前中の作業にした。

しかし、家内から毎年、
もうそろそろ御節もやめようか、
との声も上がるのだが
暮れに入ると
定番以外に、色々新しい御節を研究して
挑戦をしてくれるので
ありがたいことだ。

あすはきんとんの裏漉しの手伝いを。


先々代から継がれた
「宝船の七福神」もセット。
でもきっと
〝お宝〟ではなさそう。


2010年12月29日水曜日

恐らく、ことし最後の忘年会。


3月に中目黒から辻堂に越してきた友人S夫妻と4人で
茅ケ崎市香川の天晴で忘年会を。

ここは熊沢酒造の元酒蔵を改装した店だという。
2種類のコース料理をそれぞれが注文した。



料理はともかく(いや、そこそこだが)、
コーナーの5坪ほどの空間を家内が
予約してくれていて、そこを4人で独占
でき、約3時間ゆっくり勝手気ままな話
で過せる贅沢を味わうことができ満足
であった。

今朝の波はジャンクだが刺激的。

セットでポイントが当てれば
刺激的な波…、人は超少ないし



タイムスリップ。


鵠沼あたりではいまやそうはない
茅葺屋根の情緒


孟宗竹の結界


2010年12月28日火曜日

1274回目の忘年会。




今夜は鎌倉長谷寺の忘年会。

1274年目の終わりの。
幾多の時代の変遷はあろうとも
この年月は実に重い。

 



宴は小野明恭先生が

「高砂」の「千秋楽」で〆られた。


                                          *雅楽演奏の最後に「千秋楽」という、
                                             唐楽に属する盤渉調(ばんしきちょう)の曲が
                                             奏じられたことに由来する説。
                                             演能の最後に付け祝言として謡われた「千秋楽」
                                             に由来する説で、この説の中には、謡曲『高砂』の
                                             終わりの「千秋楽」の句を謡ったことからといった説もある。
                                             「秋」が「終」、「楽」が「落」に通じることからという説。
                                            上記の語源説のうち、雅楽演奏と付け祝言の「千秋楽」
                                            が有力とされるが、雅楽演奏の「千秋楽」は、
                                            必ずしも終わりの曲ではなかったため、
                                            やや疑問とする見方もある。
                                            千秋楽が、物事の終わりの意味として用いられたのは
                                            近世前期と考えられ、歌舞伎などの最終日を意味したのは、
                                            それよりも早い時期からとされる。
                                            また、「千秋」の「秋」は「年」を意味し、「千秋」は長い年月といった
                                            意味で「千歳(せんざい)」ともいい、
                                            「万歳(まんざい)」とともに祝意をこめて用いられることが多い。
                                                   (出處:http://gogen-allguide.com/se/sensyuuraku.html





真白き富士の根、緑の江ノ島…




今朝、鎌倉からの帰りに
片瀬山からの眺め。

しかし、住宅がびっしりだ!

(望遠レンズじゃないとちょっと無理があるか)

2010年12月26日日曜日

ロースト・チキンが食べたくて…。




昨夜は、
ロースト・チキンが食べたい!の
ひと言で、一家(周辺)9人で
ファミリークリスマスとなった。


家内がサクッと、1時間ばかりで
作ってしまったローストチキン
先日頂いた、シュトーレン


妹持ち込みの、スズキの
カルパッチョ


ビーンズスープwithウィンナーソーセージ


なぜか、頂きモノのズワイガニ
長男持ち込みのスパニッシュワイン、NAIROA2008(白)


a Jolly Christmas from Frank Sinatra
&
How Great Thou Art  ELVIS PRESLEY



2010年12月25日土曜日

Kahuna (コッカプー) #41 クリスマス・カット。

目元パッチリ、男前!?

Kuhuna  「ねー、ねー、マイラねーさん Dog Rocketさんでカットして
     もらったんだ。」





Maila  「へー、いいんじゃなーい。でもいいなー、オシャレできて…」



Kuhuna 「そーヒガマないの。弟分が喜んでるんだからー。」



Maila  「はいはい、分かりましたよー。」



Hoo,Hoo,  Merry Christmas to You !!  

カヌー納め。


いよいよ、きょうはカヌー納め。
しかし、折から太平洋上を通過中の低気圧のため、海は
西寄りの風速15m以上の強風波浪(乾燥)注意報発令の
大荒れ。
行きには江ノ島の桟橋を自転車で渡るのに相当の苦労。

9時からクラブメンバー30名近くで、6艇のOC-6のアマと
ヤクを外し、水洗いしてから、いま流行りの<ゲキオチ>
でそれぞれのカヌーの底を擦って汚れを落とした。

見違えるほどにきれいになったが、1年間世話になった艇
には新しい傷もあり、すまない気持ちになる。

3月のシーズンインまでに素人ながらでできるリペアはした
いものである。


ともかく、ことしはKonaレースに出られて、この歳で曲がり
なりにも30Kmを完漕できたことに感謝したい。

最後に全員で海に向って、二礼二拍手一礼で〆た。

2010年12月24日金曜日

アビー・ロード・スタジオ前の横断歩道が英国の文化遺産に!




アビー・ロード・スタジオに次いで、同スタジオ前の横断歩道が英国の文化遺産に
なったというニュース。

2010年12月23日木曜日

うるうる「最後の忠臣蔵」

先日、日本映画専門チャンネルでいま公開中の「最後の忠臣蔵」
のメイキング・プロモーション番組を見て、珍しく邦画の封切りを
昨日観にいった。

池宮彰一郎の原作、田中陽造脚本を「北の国から」の杉田成道
監督の作品。

討ち入り直前に大石内蔵助より生まれたばかりの外娘の可音の
養育の特命を受ける瀬尾孫左衛門と、
討ち入り後逃亡したとされる寺坂吉右衛門はやはり大石から残り
の四十六人の浪士のチリジリになるであろう家族を探し出し、
その後の生活が少しでも安らかになるよう糧を渡す旅に出るよう
命を受けたとする16年間のストーリー。

忠義の上の忠義、の物語に観客はウルウルさせられ通しであった。

役所広司演じる孫左衛門のにじみ出る情感はもちろんだが、杉田
監督の特訓の甲斐あった可音を演じた桜庭ななみの好演と、この
ふたりの脇を固めた既に熟演ともいえる安田成美が光った。

かわいい Christmas Concert



れいちゃんのイラスト+のプログラム
堂々の演奏


弟の丈君も応援。
大きくなった!



















きょうはK君の長女れいちゃんのコンサートレビューという
ことでヤマハ藤沢ホールにご招待いただいた。

れいちゃんは第1部3番目の演奏。曲目はベートーベンの
「ソナチネ」。黒一色のシックなドレスに身を包み堂々とした
演奏だった。

それにしてもみんな大したもの。れいちゃんの他にもドビッ
シーやメンデルスゾーン、グリーク、プロコフィエフ、ショパン
などの難曲を暗譜で見事に弾いた。

ピアノとエレクトーンの発表会だったが、エレクトーンの子の
中でインザムードを弾いた子などはちゃんとJazz していて思
わず手を叩いて調子をとりたくなったほどだった。

これからクリスマス周辺の楽しみが増えた。


なんとまー、クッキーまで…

帰ってきたら、早速聞いてくれたお礼にと、恐らくYちゃん
が焼いたと思われるナッツ入りのクッキーをプレゼントにと
届けてくれた。こちらこそなのに…。
楽しいひとときだった。

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昨日から大掃除を始めたら、我が家の長男の31、2年前の
ピアノの発表会(きょうと同じ会場)の写真が出てきた。
れいちゃんたちとはちょっと違って「キラキラ星」だった。
あえなくこれが最後でやめてしまった。
第二のホロビッツならず!

親のこころ、子知らずだ。


親はハラハラ、ドキドキの数分間。


 
先生「はい終ったら礼しましょ!こーよ!」
親「ふー…」


2010年12月20日月曜日

クリスマスのパン、シュトーレン。


昨日、いつもこの時期頂戴するK家のYちゃん作、ホームメイドの
シュトーレンを届けてくれた。
ありがたいことです。


このシュトーレンと、家内が丸ごとローストチキンをつくってくれれば
最高のクリスマスディナーに。

あとは美味しい赤ワイン だ。

朗報!一挙両得の赤ワイン。


昨日の毎日新聞に『赤ワインで認知力向上』 ときた。
名古屋市立大大学院の岡嶋教授チームの動物実験で
赤ワインが、記憶にかかわる脳の神経細胞の数を倍増させ、
認知能力を高めることが分かったそうだ。

仏・ブルドー大などでも赤ワインを1日400ml(グラス3杯位)を
飲む人は、飲まない人に比べ、認知症の症状が表れにくい
ことが免疫調査で分かってきたそうだ。

赤ワインに含まれ、心疾患減少に効果がある「レスベラトロ
ール」 という成分に注目してると……。

しかし、白ワインでは効果がないそうだ。

こんな朗報はそうはない!近ごろ家内に同じ質問を度重ねて
するようで、時々首を傾げられている。

焼酎も飽きたし、これからは晩酌はテーブルワインにしよう。
しかし1日グラス3杯では、劣った認知力を回復するにはちょっ
と足りない気がするので……。

2010年12月19日日曜日

Run,Paddle&Run

今朝は5℃で陽射しもなかったが、ことし最後の週末練習と
いことで風邪引きから約3週間ぶりに、カヌー漕ぎに参上。

しかし、Shunマネージャーの誠に粋な計らい は、3艇で東浜に上陸
し、4チームに分かれ、2チームは東浜から 5、600m先の腰越まで
Run、あとの2チームはカヌーで腰越まで行き、それぞれ2チームが
交代し折り返す作業  何往復しただろう。4往復くらい…。
約50分。

寒かったが風もないので稲村ケ崎往復くらいでお茶を濁して
もらえるかと期待をしていたのだが、とんでもなかった。

もちろん、「無理をしないでいいんですから…」ということだった
ので、僕はジョギングペースまたはノルディックウォークペース
であったのでその時は特に何でもなかった。

その後は東浜からスローストロークで江ノ島東浦から半周して
帰港した。

ところが、帰りの自転車コギでひざに力が思うように入らない
のだ。

それでも、帰って風呂で温めてからひざにエッセンシャルクリー
ムをたっぷり塗って手当てをし、ブランチをして、久々に藤沢ま
で買い物に付き合ったのだが、店の上がり降りのか、か、階段
の上り下りがアキマヘン!

帰ってきてソファで2時間ばかり横になったのだが
しかし、今晩はH社の湘南ロングボード倶楽部の忘年会なのだ。

鞭打って行かねば…。

昨日Duke金子君の八丈島から葉山までの約220Kmのひとり
カヌーのビデオ上映をクラブ主催で見たりしたので気合いを入れ
らたのか。
最後だというのに、とほほである。

2010年12月17日金曜日

考えさせられた「生き抜く 小野田寛郎」

昨晩NHKhiで戸井十月との対談構成の番組「生き抜く 小野田寛郎」
(初回OAは2005年5月24日)の再放送に偶然ぶち当たった。

今現在も、自分の人生をあくまでも完結しようと闘っている姿に感動を
覚えた。

17歳で父親との諍いで家を飛び出て、中国武漢で商社マンになり、
その後中国語と英語が話せるということで陸軍中野学校に呼び寄せら
れ徹底的に情報将校としての軍務を叩きこまれ、1944年にフィリピン
(ルバング島)に着任。この時上官だった横山中将から「玉砕だけは
まかりならぬ…」との命を受けていた。


終戦後も友軍の来援を信じ持久戦に徹し、何回もの投降の呼びかけに
も決して応じず(実兄にも)、仲間の戦友を次々に亡くし孤独に苛まれる
とき、
1974年に一民間人青年鈴木紀夫の呼びかけが接触に成功し、敗北の
歴史と現状を説明されたが、直属の上官の命令解除を要求した。一ヶ月
後再度鈴木を含む派遣員がその任務解除・帰国命令を携え行き、入隊
着任後30年の歳月を経て、ようやく投降に応じた。


そして、帰国を果たしたが、一般国民から寄せられた寄付金のすべてを
戦死した友のためにと靖国神社に寄付したことが物議を呼んだり、マスコ
ミの虚偽報道等に変貌著しい日本社会に馴染めず(嫌悪を覚え?)、
次兄のいるブラジルに移住を決意し、友人から借り受けた資金をもとに
ブラジル中西部にゼロから小野田牧場を拓いた。


そして帰国後結婚した妻町枝さんとともに苦労の末、10年後には牧場経営
を成功させた。


その後、川崎での少年による親を金属バットで殺人した事件を知り、「祖国
のため健全な日本人を育成したい」と、サバイバル塾「小野田自然塾」
主宰し現在にいたる…、ということだが





番組での戸井十月の肩に力が入らぬインタビューは、視聴者が聞きたい
話をストレートに投げかけ、それに歯に衣を着せない適格な応えには一本
強い筋の通った精神を窺い知ることができた。

5年前の出演当時83歳の小野田さんの目は常に相手を直視し、実に自分の
意志で生きてきたという自負心と自信に満ちていた。
話は一貫していて終始全くブレがない。
なお且つ終始の笑顔で。

・誰が悪いんじゃない。時代が悪かっただけ。
・(軍国主義の亡霊とまで言われるが)戦前には人は何と言って兵士を送り
出したか。新聞には何と書かれていたか。
・戦友の死を悼んで、頂いたお金を靖国神社に寄付して何処が悪いのか。
・終ったことにくよくよしていたら、前には進めない。
・青春は(短かったが)先取りして楽しんでおいた。
・すべてルバング島で強くなった。
・兵はすべて上官の命令で動くのが当然。
・銃を持つ敵に遠慮することはない。自分が生きるためには。
・手持ちの銃の性能からいって、至近距離で射止めなければ弾が無駄になる。
・気の毒なのは(私じゃなく)死んでいった人たちだ。
・本能的に死にたくないから、努力をする。
・自分の故国はどこか。日本には17年余りしかいなかったのだから…。
・今はどこで死んでもいい。もちろんここブラジルでも…。
・子は親と合わなければ、家を出よ。それが双方の幸せを呼ぶことだ。
いつまでも我慢して一緒にいるから悲劇を呼ぶ。
・子供は親が教育しないとダメ。子は親を見て育つ。
・自立できる子をつくれ。
・目標に近づくには、余計なものを如何に排除していくかだ。
・どんな時代や状況でも、生きて行く強さを持つこと。
・危うい日本だが、この地球がなくなるまで継続させたい。


生き抜くために、自分とも闘う不屈の精神、そしてその持続は
あの戦火の時と非常な孤独のルバングを経てきたものなのか。

日本の地で稀有なサムライとして安住してしまう道もあっただろ
うが。
敢えて前しか見ないひとだったのか。根っからだったのか。


それにしても、帰国後の当時の故田中角栄首相との2ショット、
田中の膝組んで相手の顔も見ない厚顔さと、高度成長下で
浮かれている日本を睨みつけるような小野田さんの素振りは
印象的なショットだった。

The Real Last SAMURAI とまで言われているが、
ご本人は、民主主義者で自由主義者だと言っている。

現在88歳で、まだ生きることの尊さを伝え続けている。

2010年12月16日木曜日

年賀状づくり。

4月にH社を完全撤退し、8ヶ月。早かった。
それから半ば漫然と過ごして来てしまっていたら、
その中にリ・スタート した意味に値するものが果たしてあったか
…、などと振り返ってみたりした。

これから余生を少しでも新しく動かしていく初動の体力くらいは
確認したかったのかも知れない。

それがきっと<Konaレース、30Kmへの道>へ繋がったの
だろう。

その道へのプロセスは
想定→決断→準備(トレーニング)→動機維持→最終決断→本番→反省
とあったのだが、

この自分なりの未知への挑戦 のプロセスの中には、
恐らく漫然と過ごす生活のままであったら得られないことが
たくさんあった。

それは、年齢には起因しない可能性とまた限界を知ったこと、
この歳にして信頼できる新しい仲間と合えたこと、
2時間45分(レース時間)でのこころの葛藤を楽しめたこと、
想像以上の満足感と意気の高揚感を得たこと、
予めの目標(できるだけ高い)を持つ必要性、…等々。

本当にタイムリーな絵に描いたような挑戦を得ることができた。

背中を押してそこに導いてくれた仲間、バックアップしてくれた
家族に改めて感謝したい。

さてさて、来る年には何があるだろう、どうなるのだろう。
来年の今ごろ、ツラツラ何を思って年賀状をつくるのか楽しみだ。




2010年12月13日月曜日

メジロとシジュウカラの葛藤。

狭い庭なのでこの距離間。
でも一度に視野に入るので…。

シジュウカラはけっこう強い。
縄張りもあって他の同種も寄せ付けない、みたいだ。

じっと待つメジロ…。

やっと順番が


「はい、そろそろTime Over!」
…もしかするとツガイのための見張り番か?

水飲み場はシェアしてる。




今朝のワン歩 は北風の吹く中。実際の気温は10℃そこそこ
あったが、体感はけっこう冷たかった。

咳がまだ抜けないので、カヌーも休むことにした。
帰ってきてゆっくり1時間ストレッチ、気功&ヨガを。

終ると9時過ぎだ。どうしても夏より1時間ほど遅いWinter Time
になる。

朝刊も休み。
NHK①ラジオ「ラジオビタミン」を聞きながら、これまたゆっくり
朝食を。

きょうのゲストトークは亀淵昭信さんだ。村上アナと神崎ゆう子
と交わしてゆく会話はなるほど僕らの〝胸琴〟を弾くようになつ
かしいMusicと古き良き時代が戻ってくるし、亀さんには団塊の
世代の一種の説教じみた押しつけがましさがなく、こころから自
然に湧いてくる気分や優しさが感じられて清々しい。

村上アナが「僕たちは話すときに、言葉の引き出しをその時その
時開いて選んで話をするが、亀淵さんは違いますね。決して言葉
を選んでいるようには感じないのに、とても的確でこころに沁み入
る言葉で話をされる…」とうまいことを言った。
(リクウェスト曲に実妹亀淵友香&VOJAの「絆」まで嫌味なくさらっとかけてしまう)


そういえば、ひところ亀さんと「オールナイトニッポン」でコンビを
アンコウさん(斉藤安弘)はどうなさっているのだろう。
茅ケ崎にお住まいで(いた?)、以前東海道線の行き帰りでたま
にお会いし話ながら車中の時間を過ごしたことがなつかしい。



なんて、ラジオを聞いていたら…
我が家の小さな庭の小鳥のエサ場にメジロとシジュウカラが交互
に食べに来てくれた。

シジュウカラは我が強く、自分がヒマワリの種を突いているときは
メジロを寄せ付けない。
メジロはヒマワリの種は食べない。隣りに刺したミカンを突きにくる
だけなのに。

見ていると、シジュウカラがいるときはメジロは傍のオリーブの枝の
文字通りWaiting Barで様子を覗っていた。

しばらくするとシジュウカラもメジロが食べているときにはWaiting Bar
で待っているが、メジロが長居をしていると追っ払う。

水飲みも順番に始めた。

でもよくよく見てると、互いにツガイできているので、判別し難いが4羽
で交代していることになる。

かわいいなー。
冬の一興になる。

どうやら冷たい雨が降り出した…。

2010年12月12日日曜日

カヌークラブの忘年会。



日曜の夕方ということで
まだ賑わう江ノ島入口

価値あることしの
Paddler of The Year
まさかの、感激!?
きょうも極マジな表情の
Mr.Chikaraさん

夕方から恒例の湘南アウトリガーカヌークラブの忘年会が
江ノ島は岩本楼で開催された。

ことしは創クラブ5周年ということもあり、上は僕のようなOver
60sから小学生のKidsまでクラブ会員60名が参加して大宴会
になった。

年々着々と子供たちの会員も増え徐々に地域に根差すクラブ
としての形をつくりつつある。

ことしは個人的には、コナレース(30Km)にも参戦でき、そのた
めの練習も今まで以上にいたことで生活の一部になっていた。

栄えある<Paddler of The Year>にはクラブのFlag-Ship Teamを
リードしクラブ主催のレースでこのTeamを優勝に導いたというこ
とでMr.Chikaraにその記念としてタイトル入りのステアパドルが
渡された。

去年は僕たちOver 60sの4名が、言わばインフレ気味(笑)とも思えるが、頂戴
してしまい、そしてまんまとことしKonaレースにまで頭に乗って行
ってしまったのだが…、
ことしのPaddler of The Yearは誰もが納得の真の受賞であった。
ヘッドクォーターのメリハリの利いた粋な計らいに感心だ。


いろいろ課題はまだあるのだろうが、
ホントに<奇跡のクラブ>いよいよ感じてしまう
素晴らしい仲間たち!!



先日の練習のウォームアップ中に
アキレス腱を切断し手術した
Momokoさんも東京から参加。
幸い術後の経過は順調
とのことで良かった。
ちょっとからかうMisa&Mikiちゃん。


2010年12月10日金曜日

軽井沢は雪景色。


                     写真は 「離山草紙」(軽井沢だより)さんのBlogより


鎌倉の友人はきのうから行っているのだけれど
シビレてないだろうか?

朝の電話では、
「ボーッと銀世界を見ながら、
朝食(ルームサービス)をとっているところ・・・」だったが。
晴れたら浅間サンラインのパノラマビューは
最高だろう、とリコメンド…。


2010年12月8日水曜日

NHKラジオ① 亀淵昭信の「いくつになってもロッケンロール!」

どうも、風邪の咳のぶり返し、ほんと執拗だ。まいった!

昨夜横になり、NHK①を聞いていたら、あのニッポン放送の
社長までやった人、亀さんこと亀淵昭信の番組に出くわした。

喜寿を迎えて今なお、昔の杵柄を磨いているひとだ。
お元気、お元気…。(亀さん的?に)

ニッポン放送の編成局長をされているころにS社の餅番組や
新企画でお世話ななったことがあり、実妹の亀淵友香さんにも
仕事で何回かご一緒した。

昨日の番組はクリスマスソング集。
その中でデジタル時代のクリスマスソング、フランク・シナトラと
シンディ・ローパーの「サンタが街にやってくる」を…

YouTubeSanta Claus is coming to Town
(by Frank Sinatra&Cindy Lauper)



今朝になってもまだ咳だ。

ふたつの War is over

12月8日 ふたつの War is Over

http://www.youtube.com/watch?v=n6C-OznO7hU

http://www.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM

ジョン・レノンが凶弾に倒れたあの日は、青山にある(あった?)
ワーナー・パイオニア(ワーナー・ミュージック・ジャパンの前身)
にいてそのニュース速報を聞いた。

打合せをしていたWP社のH氏と愕然としばらく口を開けたまま
何が起こったのか理解ができなかった記憶がある。
その2ヶ月前に仕事でNYに行ったときダコタハウス前でクルマ
を降りてしばらく見上げていたことがあった。


この新旧の曲の間に、世界が何か変わったのか…。

11月24日の毎日新聞の「引用句辞典」(鹿島茂)に〝バラ色の
未来予測〟と題して『帝国以後-アメリカ・システムの崩壊』
の著者・エマニュエル・ドットが「アメリカ帝国が見かけに反して
経済的にも軍事的にも極めて脆弱であり、両面からの崩壊が
避けられないだろう、と2002年の時点で予言した本として話題
を集めたが、本当に重要なのは、世界の女性が読み書きを身に
つける、つまり識字率を高めると受胎調節がが始まり、2030年
にはそれの全般化が想定される…、という長期的な展望の方だ」
という。

女性の識字化が高まり受胎調節が始まれば出産率が低下して
いき2050年には恐らく世界の人口が安定化し、世界は均衡状
態に入るという。
「その時が、文字の発明から人類全体がそれを習得するまでの
数千年の及ぶ長期の学習の終了を意味する。それは人類の長
い幼少期の終わりを印すもの」と楽観論にも思える、と。

鹿島氏がドットの主張を次のようにまとめている。

第1段階。民衆、特に男子が読み書きを始めると計算ができる
ようになり、社会は経済的なテイクオフへと向かう。経済のグロー
バリゼーションも識字化された労働力を低賃金で雇う「利潤の
最適化の技法」だと。
しかしこの段階は希望と豊かさの実現には通じない。親と識字
率の高い子供とのギャップは社会を不安定にする、と。
この時期は英国の清教徒革命から、フランス革命、ロシア革命、
日独伊のファッショを経て、戦後の学生騒乱、イスラム圏の原理
主義に至る「移行期の危機」だそうだ。

第2段階。女性の識字率に伴い受胎調節が始まり出生率が低下
すると社会は急に「おとなしくなり」民主主義に向う。
男子の識字化→革命と動乱→女性の識字化→出生率低下→民
主主義的安定化…近代化の過渡的な変調
中国などもこの段階で、近いうちにおとなしくなり、イスラム圏も
女性の識字化が進んだ順に沈静化が始まるのだ、と。

最後に、鹿島氏は、本当かしら?にわかには信じ難いが、予想
確立No.1のドットの言葉だから、信じてもいいような気もする。
たまには、強力な楽観論があってもいい、と結ぶ。


もし、彼の確立が高いのだとすれば、世界の安定化に向けて先進
国はもっと強力な<識字爆弾>、いや識字の種をバラまき、苗を
植えることが先決だ。

2050年、40年後は遠い。
でも日本も戦後60年あまりとするとそんなものなのか。

世界がすこしずつでも「おとなしい(?)」方向に変わっていることを
信じたい。

2010年12月6日月曜日

長谷寺の紅葉ライトアップとBUTSU展、昨夜千秋楽。

冬の嵐からも立派に復帰した
仁王像

天井に不思議な光を発する
百済観音。

来山者に驚きを楽しさを…




11月20日から始まった、鎌倉長谷寺の紅葉ライトアップと
本掘雄二氏作の「透過する仏 BUTSU」の展示が昨日
千秋楽を迎えた。

僕の当初の予想を上回る、Open Space大井さんの演出
照明の効果でLEDでしかできないまさに絶妙なライティング
による「透過されたBUTSU」が浮かび上がる企画となった。

観音堂の軒下の柱と柱の間の4区画も計ったように実に
ぴったりとはまった。

何はともかく本掘さんも新境地を経験され、アートスペース
とは違う感覚で見る人たちにも驚きと楽しさを提供できたこと
を喜びに思う。

そして、6月28日に友人のAkieさんがINAXギャラリーで開催
されていた、本掘さんの作品展、それもその日は最終日の
午後に勧めてくれたお陰だった。感謝。

こんなに早く繫がる縁というものもあるんだなー。

すべての関係者の方々に、ありがとうございました。

終了後
ご本尊十一面観音菩薩に
そっと手を合わせる
本掘氏

本掘氏を囲んで
うれしい打上げの
宴を頂いた。