2011年7月29日金曜日

軽井沢 7/22~28






24日は地デジの最後を見届けて

しかし、デジタル放送最初のニュースのトップは
中国新幹線の大事故。


25日は東御市のワイナリー
Rue de Vin へ。

評判のシャルドネ2009を購入。



その日は夕方から凄い雷雨。
 



27日は30数年ぶりに
浅間牧場、

(群馬側の樹海、牧場には牛1頭放されていない。)
 

白糸の滝、

いつもお詣り
熊野皇大神宮へ。


本当は、この時期に合わせて
仏像の木彫などを持ちこんでと
思っていたのだが、
サボった罰でそれは叶わなかったが、
ゆっくりできた。

2011年7月23日土曜日

軽井沢の下重暁子さん。

FM軽井沢を聞いていたら、下重暁子さんの対談で、時間を目的から逆算するのではなく、出来た時が出来た時、着いた時が着いた時というエジプト人の考え方も必要と…。だからピラミッドもできたわけだと。下重さんは旧軽の吉村順三氏設計、音楽家エロイーズ・カニングハム女史の過ごした家を見た瞬間購入し、今も広尾のお宅と行ったり来たり。著書の紹介も「晩年の発見」大和書房、「エロイーズ・カニングハムの家」白水社(以上、聞き間違いご容赦)

2011年7月22日金曜日

上軽。

家(鵠沼)を13:00に出発。環八、荻窪近くが少し混むも他はまたまたスムーズ。明日から少し一人暮らしなので、中軽井沢のスーパーツルヤに直行!途中ノンストップで3時間27分。走行距離204.6キロ。気温20.5℃なり〓。

2011年7月20日水曜日

地蔵菩薩立像への道。<粘土から石膏の型作り>

7月16日の朝から粘土像から石膏像のための型作りのため
粘土像の上に石膏を溶かして全体を覆う作業を。
(鎌倉の大森仏師の教室で)

両手は特に指の型は取れないし、
特に左手の親指と中指と薬指で
衣を摘み上げているため
彫刻が難しいため切り離す。
石膏像の型をから
粘土をほじり出すための
窓を3つ作るための細工。
切り離された両手。

午後からの作業は窓から粘土を取り出しながら、同時に芯として中に
あった木を取り出す。
粘土を取り出した状態。
うっすらと顔の表情が…。
そして、30日(予定がこれしかないので)に、一日かけて石膏を流し込み
石膏像を作る。
そのため外側の型と流し込んだ本体の像の石膏がうまく剥離させるため
石鹸水を筆で何日かかけて塗りこむ。

木彫が出来上がるのは何年先か?

2011年7月19日火曜日

ニセコより、愛の旅するパン。



この天然酵母パンたちと、我が家自家製のルバーブ、スモモ、杏のジャムで
朝食もたのし。

2011年7月18日月曜日

神かがり的勝利!!

なでしこの華、咲いた!!

澤の延長後半のミラクル同点シュート!
PK戦を制した瞬間!

2011年7月14日木曜日

きのうから初めてのお伊勢詣りに。

きのう7月13日朝9時前の新幹線で新横浜を出発。
名古屋から近鉄特急ライナーを乗り継ぎ、12時10分に伊勢市駅到着。
そのままタクシーで外宮へ向かう。
12時というのにまだ人影はまばら。







 




帰りがけにかわいいどちら園児か
「…よろしくお願いしますっ。」と
順番に一礼。

そしてお口とお手々を清めていた。


そのあと、伊勢河崎の勢田川沿いにいまも点在する蔵街通りを散策。

元酒問屋の商人館。
600坪を有する登録有形文化財。

一気に座敷から茶室、中庭へと貫ける。


この辺独特なのか、漆喰の上に板張りを。
近くで火事が起きるとタテの止め木の
つがいを外すと横板が下に
落ちて類焼を防ぐようになっていたらしい。


14日は近くの七種神社のお祭り。


軒先に燕の巣にヒナたちがピーピー。

旧蔵の屋根が重なるように

賢島に到着
 

ホテルの部屋からの眺め
 

夕食のコースの一皿、黒アワビのステーキ


14日は10時過ぎに内宮に到着。

ここにもいた、園児たち。




御料馬


式年遷宮、平成25年


五十鈴川のほとりで休憩






おはらい町から
そして
おかげ横丁へ





初食、伊勢うどんは不思議な食感。




五十鈴川駅前のCafeで時間調整

暑いのだが時々吹く風が心地よい。気持ちは清々しい。