2010年11月8日月曜日

日本シリーズ。


今朝の毎日新聞記事


序盤は大味なゲームだったが、それからは見応えのある短期
決戦ならではの熾烈な戦いを展開してくれた。

これはもうレギュラーシーズンとは全く別モノのステージになった。
特にロッテはレギュラーシーズン3位、とはいってもパ・リーグは
1位から4位まで3ゲーム差、セ・リーグは同じく1ゲーム差という
混戦で終了。

その中でもロッテはクライマックスシリーズの1stステージは2試合
とも9回に追いつき延長戦を制し、ファイナルステージではソフト
バンクに1勝3敗からの3連勝という驚異的粘り腰。

そしてシリーズの初戦も敵陣で先勝し引き分けを含み、最後も敵
陣で延長11回を制して、4勝2敗1分で優勝という快挙だった。


毎日新聞が褒め称えるのは、西岡と清田両選手、そして岡田選手だ。

『西岡内野手(24)が引っ張り、新人の清田外野手(26)が活躍。
窮地から何度も盛り返して、頂点に…。』

西岡はマウンドに駆け寄り投手を励まし、去年までの茶髪を球団
から「子供の手本に…」と言われ髪を黒く短くし、常に全力プレー
でチームをまとめたという。

一方、清田は昨秋のドラフト3位指名以上ならプロ入りを宣言した
が、実際は4位指名でそれをバネに、シリーズ新人最多の6打点
を挙げ、評価を見返した。

昨日の第7戦の決勝打の岡田選手に至ってはチーム初の育成選
手からの1軍入り。日大を故障で中退し、栃木のクラブチームに所
属し、ガス会社で働きながら野球を続け、妻に「2年間だけプロに
挑戦させて欲しい」と頼み込み09年に入団した苦労人、だそうな。

ことほど左様に僕としてはとても情報不足ではあった。

何しろ、いろいろな意味でパ・リーグはハングリー(東京に近いから
そう見えるのか)で、特にロッテはレギュラーシーズン最後の3連勝
もそうだが、クライマックスから日本シリーズまでSwichが切り替わっ
て、全く違うエンジンが働いたか、ターボにチャージしたか、凄まじい
エネルギーとパワーがに見えるようだった。


本当の面白さを実感できた日本シリーズだった。



隠れG。








Kahuna (コッカプー) #35 秋だから行ける鵠沼海岸。





暑く長かった夏もようやく去り
ようやく平静さも戻った
海岸に朝早く




Kahuna  「やっと主も海岸に散歩に行く気になって、
       僕もデビュー以来3回 目。 
       でも朝早くじゃないといろんな子がいると
       まだちょっと…(ビビリ)。」

Maila   「そーねー。こんなサザ波の音にもドギマギだもんねー。
       カフナがひっぱるから私まで怒られるじゃないの。」

Kahuna  「すんません。
       まだまだ世の中分からないことだらけです―。」

Maila   「そーね、まだ半年そこそこじゃーねー。
       でもママが性格かもよ、と言ってたけどー、
       大丈夫?」


主「ほらー、ふたりともカメラに注目できてなーい!」

江ノ島バックにShot

2010年11月7日日曜日

レンガ塀。


鵠沼海岸の本レンガ(タイルではない)塀のお宅。
玄関前は車寄せのように
センターに植え込みがありサークル状に。


ことし最後のアウトリガーカヌーレース。

遥か遠くのようにも見える烏帽子岩を回る周回コース。
予選は1周3.5㌔、決勝は2周+αの10㌔

暖かく、気持ちよい、え、晩秋!?



決勝でぶっちぎりの特攻Mixチーム

穏やかな海の上を凱旋する特攻Mixチーム。


昨日、きょうと2日の渡って開催された茅ケ崎のクラブ(COCC)
主催のレース。

 昨日は僕たちは開会式直後の最初のレースから出場。
男女Mixの予選(3.5㌔のコース)第1ヒートで、還暦越えのMen3人
と女性2名チームだ。
各ヒート3位までが決勝に進出できる。我々は2位通過。
我々のクラブの他のチームも順調に予選通過をした。

そして午後の決勝は10㌔のコース。
僕たちのチームはスタートこそうまくいったのだが、ずるずると順位
を下げ結果は5位に終わった。
すこし悔しさが残るが、自分自身の体力の限界も感じた。
やはり当然だが既にマスターズ・クラスの中で戦うべき年齢になって
いるのだろう。

昨日は僕たちのクラブはほぼ順調に各カテゴリーを1位、悪くても2
位を獲得できた。




Mixの予選のあるレースで
ゴールで3艇がダンゴニになり
貸しだした1艇にボッコリと穴があき
痛々しく損傷してしまった。
昨日は出場チームが多いため僕たちチームのカヌー6艇をすべて
江ノ島から茅ケ崎に2日に分けて搬漕し、うち4艇はその日のうちに
江ノ島に戻した。2艇は自力で漕いで、2艇は主催者の配慮で大会
のジャッジ&救助船に曳航してもらった。
僕はだらしなくもその曳航されるカヌーに乗せてもらったが、自力の
カヌーも15分と待たないうちに戻ってきた。


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女子決勝のスタート。
終了後ハグをするものの
内心は悔しさでいかばかりか。



手前が優勝の静岡黒潮漕チームの
スタートダッシュ。
4艇目が我がTopチーム。

男子トップチームも、まさかの?3位。
本当にカヌーは全員がベストの
コンディションで漕げないと
Topチームといえども
個人の力だけでは
どうにも思うようにはならない。

明けてきょうがガチンコ勝負の各チームトップクラスのレースに。

しかし、まずは女子だが奮闘むなしく3位。

続いて、レース前は今までの練習の成果をそのまま出せば優勝と
みんなが思っていたのだが、いつも20代でクルー構成でくる静岡
のチームがぶっちぎりの優勝。
そのあとが去年の主催としてのリベンジを狙った茅ケ崎COCCが
入り、何とわがSOCCはまさかの3位に。

しかし、クラブ対抗なので総合優勝の結果は昨日の結果との総合
得点なので大会会場では発表されず、会場を変えて行われるため
ひと足さきに家路についた僕には不明だがけっこう微妙な感じで
あることは確かだ。

クラブの報告を楽しみに!!
                 (結果は残念ながら総合2位)




あくまでもレースの差配は
各チームの自主性に任せる
『奇跡のクラブ』の市川代表。



男子のレース途中で
「俺、もう帰ろうかな!」などと
うそぶいてみせるけど
本当にチームのことを
思ってくれている元副代表木下さん。


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11/8追加

Results

男女混合の部
 1位  SOCC C
 5位  SOCC D・・・・・・・これが僕たちのクルー!
 7位  SOCC E
10位   SOCC F

男子オープン
 3位  SOCC B

OC-1リレー男子
 1位  SOCC
11位   SOCC中学生チーム

OC-1リレー女子
 2位 SOCC

女子
 3位 SOCC B

男子エリート
 3位 SOCC A

総合2位

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<資料>
6日予定スケジュール

 6:30~7:30  受付
 7:30~8:15  開会式
 8:30~9:15  Mix予選1組
 9:15~10:00  Mix予選2組
10:00~10:45 Mix予選3組
11:45~12:00 Mix敗者復活戦
12:00~13:00 OC-1リレー(男・女)
13:00~14:30 Mix決勝
14:30~16:00 男子オープン決勝

7日(日曜日)予定スケジュール
 7:30~8:00  受付
 9:00~10:30  女子決勝
11:00~12:30 男子決勝
14:30~17:00 表彰式パーティー(場所:茅ヶ崎 Pops)

2010年11月5日金曜日

Kahuna (コッカプー) #34 Fine Day !

カフナは先日の計測で 7.5㌔ になっていた。
毛をカットしないのPuppieには
とても見えない堂々としたものだ。






今朝は5時半から明日、明後日の茅ケ崎のレースでのために
OC‐6(6人乗りカヌー)を3艇茅ケ崎に搬漕した。

平日の早朝ということで茅ケ崎のクラブ(COCC)からも3名助っ
人に来てくれた。

今朝は風もほとんどなく鏡のような海面でご来光を背にとても気
持ちのよいクルーズができた。

途中辻堂当たりの134号線方面からパンケーキのような甘い匂
いが漂ってきて朝飯は完全にそのモードになってしまい、無事に
終了し帰宅してパンケーキならぬフレンチトーストをタラフク!

朝飯が終り、散歩ではなく2階のベランダでカフナを日光浴。
黒ネコのジルがいつも通り寄ってきてマッサージを要求。
それはこっちがお願いしたいぐらいなのだが…。

多少気だるさがあったがダラダラするにはモッタイナイ天気なの
で、さてこれからどうするか…。

2010年11月4日木曜日

オリーブの塩漬け。


ことしはオリーブが不作だ。
小さなボウルに一杯しか採れなかった。
それも小ぶりなものが多い。

3年くらい前に2本あったうちの1本が枯れてしまって
受粉がうまくいかないせいもあるのだろう。

ご近所の木に頼っている状態だとうまくいかないの
だろうか。

前回は水酸化ナトリイウムを使って作ったのだが、
何しろ劇薬であることには違いがないので、今回は
シチリア風オリーブの塩漬け方、塩のみでやってみる
ことにした。

前回はあく抜きが大変に手間だったので、今回は質も
イマイチということでシンプル製法でトライすることにした。

どちらにしてもできるのは来年の3月ごろだ。

2010年11月2日火曜日

記憶の薄れぬ間に…。

下の図の南側の池の付近から見た方向。
腰をか屈めて俯き加減の幼少の僕。




我が家は祖母が浅草で震災に合い、東京はもう怖くて住めない
といって鵠沼に移り住んできた。
当初はいまでいう鵠沼海岸7丁目の熊倉通りの終点、高根のバ
ス停の奥に二階家の日本家屋建てた。

しかし、商店街が徐々に伸びて来る気配を感じてもっと静かなと
ころへと言うことで10年もしないうちに今の松が岡にまた総檜の
平屋の日本家屋を新築した。
ここに移って約75年、僕で3代目になる。

ちょうど小田急鵠沼海岸駅にも江ノ電鵠沼駅にも10分以内の
距離と言うことで決めたようだ。

当時はこの界隈は1ブロックに1軒家があるかないかで、現に
我が家の東のお向かいのT家のお屋敷は約3,000坪は優に
越えた敷地であった。

当時のT家は南側に平屋の大きな日本家屋の母屋と北側には
瀟洒な洋館(今も現存)があり、この間に芝生を敷き詰めた広い
庭に時々忍び込んで遊ばせてもらっていた。

なので、200坪程度では、この界隈では恥ずかしいくらい小さな
家であったことは確かだ。

僕が小学校に入っても、トイレはくみ取りだったし、水道はまだな
く井戸水をタンクに満杯に汲み上げるのは僕の役目であった。

風呂はしばらく五右衛門風呂で焚口に薪や石炭をくべて焚くわけ
で、庭掃除や近くの林で着火用の小枝を集めるのも役目だった。

家は回り廊下で南側が8枚、西側に6枚の戸があり、これの朝夕
の開け閉めも役目だった。
だから朝は早起き、暗くなるまでに帰らないと、という習慣はこの
頃の躾けになったのか。

このように農家でなくとも子供のやる仕事がたくさんあった。


廊下は無節の檜と母はよく自慢をしていた。

障子は小障子のある雪見障子。










  書院のある床の間。(資料写真)


この昭和初期の文化財(?)を僕は16年前にいとも簡単に壊
してしまったわけだ。

アメリカの映画やテレビ番組などのプロパガンダで頭をやられ
ていた僕には何とも古臭い、使い勝手の悪い家とも感じていた
からだろう。

Unstyle爺のなせる業だ!


しかし、ここ3年くらい前からもう一軒、終の棲家を建てたい意欲に
駆られている。
それも在来の、平屋の家、木々に囲まれる庭が確保できる家を…。