2011年10月24日月曜日

TPPへの尽きない疑問。

≪異常な契約 TPPの仮面を剥ぐ≫  ジェーン・ケルシー編著 
毎日新聞 2011・10・23 「今週の本棚」松原隆一郎 評 

◇社会的規制の撤廃がもたらす危機

 反TPP(The Trans-Pacific Partnership Agreement=
環太平洋経済連携(パートナーシップ)協定)の立場を露骨に示す
邦題だが、実は原題を忠実に訳している。編著者はオークランド
大学教授。TPPを立ち上げた4カ国のひとつであるニュージーラン
ドと続いて参加した豪州から19名の法律家・エコノミストが寄稿して、
2010年にオバマ政権主導で推進されるようになったこの協定に
つき様々な分野と視点から精緻に分析している。

 日本では昨年末に菅前首相が「国を開く」というキャッチフレーズ
で関係国との協議開始を指示、大震災でいったん先送りしたものの、
今また野田首相が農業再生策に絡めながら参加に熱意を示し始めた。

 けれどもわが国での推進論には首を傾(かし)げたくなる。関税撤廃
で貿易と投資を自由化すれば、製造業は一層の競争力を得て輸出を
増やす。一方、これまで保護してきたにもかかわらず担い手が高齢化
した農業も、開国で競争力をつければ再生する。そう主張される。だが
(外国との比較で)競争力をつけたからといって、その産業が輸出でき
る(もしくは輸入財に負けない)という保証はない。

 仮にわが国のすべての産業が世界一の技術力を誇っているとしよう。
日本製品は、いったんは自動車からコメに至るまで、大いに輸出される
だろう。けれどもそれで貿易黒字が貯(た)まれば、中長期的には円高
になる。外国からすれば何%かの価格引き上げと同じことだから、それ
に耐えられない分野は輸入に回るだろう。

 この円高を回避する工夫が、ゼロ金利だった。外国のたとえばドル資
産の方が利率が高いから、それに投資すべく円でドルが買われて円安
になる。

 ここで犠牲になったのは、自動車産業ほど抜群に世界一とはいえず、
円高の下で外国に勝てなくなった産業だけではない。金利を当てにでき
なくなった預金者やドル建てで人件費の高騰した労働者も、自動車輸出
の犠牲になっている。

 推進派は「競争力幻想」に微睡(まどろ)んでいるのではないか。だが
市場はオリンピックではない。すべての分野が勝つことは不可能である。
これはリカードの比較優位説を持ち出さなくとも普通に推測できることでは
ないか。

 日本の農業は、外国より高品質の産品を作っても疲弊するに違いない。
日本の自動車を超えるほどの比較優位を持つことは困難だからだ。ライバ
ルは外国の農産物というより、日本の自動車産業である。

 それだけではない。さらに重要なのはその先だ。本書には多様な議論が
混在するようで、その先を見据えている。TPPは市場競争からの保護に
つながる「経済的規制」の撤廃を唱える協定には止(とど)まらない。「社会
的規制」をアメリカが自己都合で変えさせてしまう点でこそ「異常な契約」な
のである。

 本書で取り上げられる推測を列挙しよう。一つは畜産物への抗生物質
の使用基準、野菜への遺伝子組み換え、そして残留農薬基準など食品の
安全基準について、通商代表部がアメリカの国内基準を押しつけるだろう
ということだ。

 二つには、アメリカは知的財産権の強化を主張するだろう。医薬品の特
許権期間を延長したり、ジェネリック医薬品の製造に必要なデータを秘匿
したりして、途上国における医薬品価格を引き上げるだろう。

 三つには、投資家の求めに応じて、リーマン・ショックの原因となりここ数
年で課された国際的な資金移動や金融に対する規制の撤廃が、早くも進
められるだろう。これにより政府は金融危機を防止する手立てを制限され
るが、それだけではない。規制を課した政府が、企業や投資家に告訴され
るだろうというのだ。

 これらはいずれも貿易と投資の自由化を名目として、各国が独自に定め
てきた社会的規制が撤廃されるということである。しかも驚くべきことに、
TPP交渉は締結まではテキスト案やペーパーを公表しない秘密主義をもっ
て行われている。ただでさえ社会の骨格を築く社会的規制が外圧により撤
廃されるというのに、一般市民は交渉過程で協定の内容を読み、影響を評
価することができないのだ。

 そのうえ交渉に加われるのは政府関係者に限られ、輸入から直接の大
打撃を受けるであろう先住民や労働組合は話し合いの場を傍聴することも
許されない。秘密主義はオバマ大統領が、米国内で批判勢力をかわすた
めというのだが。

 これらはニュージーランドや豪州の体験から推測されたことである。日本
で注目されている農業だけではない、TPPは民主主義すらも危機にさらす
だろうというのが、本書の予言である。

 「サムソン憎し」というのが財界推進派の心情に違いない。だが、たとえ
サムソンに勝てたとして、それは国民に食料の安全や安価な医薬品を放棄
させ、金融危機リスクにさらしてまで得るべき勝利なのか。政治的主権を捨
てるほどの利益がもたらされるのか。再考を迫る一冊だ。
(環太平洋経済問題研究会ほか訳)

今週の本棚:松原隆一郎・評 『異常な契約 TPPの…』
=ジェーン・ケルシー編著

◇『異常な契約 TPPの仮面を剥ぐ』
(農文協・2730円)

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