2010年10月31日日曜日

「独楽」の画家 熊谷守一。



昨晩NHKhiで画家 熊谷守一の生きざまを市川亀次郎の感性によっ
てなぞられる番組があった。

“独楽”(独りを楽しむ)という言葉を座右とした画家・熊谷守一。
人前に出る事を嫌い、いかなる賞も辞退、仙人のように生きた。
97歳で死ぬまでの30年間は自宅の敷地から出ることなく庭で
草花や昆虫を飽きず見つめては、独自の表現で迸るように
描いた。
市川亀治郎は部屋に“独歩”という書を飾り、独りで静かにいる
時間を大切にする読書家だ。
生き方は対照的ながら「独」を愉しむことでつながる亀治郎が、
「わずか15坪の庭にすべてがあった」と語られた庭を舞台に守一
の一日を追体験。すべての創造の源となった庭で、守一には
どのような時間が流れていたのか、その秘密を解き明かす。
(NHK番組解説より)


彼の人生は困窮をも顧みず、じっと毎日15坪の自宅の庭で動植物
を見つめて観察を繰り返す。

しかし、その作品は実に簡素化した線によって表現しその表情を語
っている。

僕がショックを受けたのはこの
「ヤキバノカエリ」なる作品だ。
結核で亡くなった長女の遺骨を
火葬場から持ち帰る父子三人
を描いたもの。






三人の顔はのっぺらぼう。背景の木立もどこか幽霊のように描
かれ、横一列に並んだ父子の姿が前面に浮かび上がる。
言うに云えない悲しみと失望、そして諦めと無力感のようなもの
を感じる。
後ろの奥さんと思われる女性の目のない強烈な視線が主人の後
ろ姿に重い生活を物悲しく語っているようだ。


 (絵は図録を撮影)
この困窮生活で5人中3人の子を
亡くしても、自分の人生、ましてや
作品に対する信条を決して曲げな
かった。

次男を病で亡くした時に30分(?)
で描き上げたというなきがら図。
ろうそくの炎が悲しい。





それでもひとりを楽しむ人生を全うしたのか、…独楽。








 

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