2010年7月6日火曜日

老荘の徒、わが「巨魂」、梅棹忠夫逝く。



梅棹忠夫先生、とあえて言わせて頂く。

大学時代、周辺は紛争の真っただ中。
何か厭世的な気分で、悶々と過ごしていた。
デモにも参加したが、それも自分にはフィット感がなかった。
アメリカのプロパガンダ的文化に子供ころから漬込まれていたため、
いや魅せられながら過ごしていたのだから、何で反米なのかフィットし
ない。
しかし、反体制の意識だけは家庭環境からも強く感じていた。

波乗りにしても、僕は文化としてではなく、一瞬でも社会から解放する
ことにあった。
それしか解放できるものがなかった、という方があたっているかもしれ
ない。画一的で、実に小さな狭い了見のときだった。

大学も修了(?)であったが就活にも意欲がなかったのだが、縁あっ
て、放送・広告の世界に身を置いた。
血反吐が出そうな厳しい競争、目まぐるしい変化、複雑な人間関係。
でも何故か苦しみながらもこなしていくことに変な充足感を覚えるよう
になっていた。ツキものにつかれたかのように。

しかし13年経って仕事は深化していくのだが、自分の立ち位置はあまり
変わっていくポテンシャルが見えないことに気がついてきた。

元々目的をもってやっているコトではなかったのだが、このままだと
このままだ、という恐怖感が起こってきた。

確かに35歳だったから年齢的な意識もあっただろう。
何か新しいコトをやるには今しかないと考え始めていた。

しかし、確たる目的をもってやって来ていなかったので選択肢だって
そうそうあるわけではない。
さて、じゃーどうする。

そんなときに、本屋でふと目にとまったのが
梅棹先生の「わたしの生きがい論」であった。
表紙のショルダーに小さな級数の<人生に目的があるか>が僕の手と
心を引っ張った。

そして、その<まえがき>に
……わたしの人生論は、いかに生きるべきかを論じたものではない、…。
…わたしはわたしなりに、現代に生きるすべの思想的探索を続けていた
のである。その結論といえるかどうかわからないが、この本のなかでくりか
えしあらわれてくる基調音というのは、目的体系からの離脱ということであ
り、無目的の自己放出ということである。これだけのことがかがり糸として、
…各章がつづられているのである。
…社会の激変ぶりにもかかわらず、わが思想は本筋のところでは変化も
成長もしていない。わたしは二十年のあいだ、いったい何をしていたのだ
ろうか。その思想の安定さは、ひとつには、わたしがゆるやかにもたれか
かっている「哲学」の性質によるものとおもわれる。わたしは自分自身を
やはり老荘の徒であろうとおもっている。老子、荘子のとくところを、現代
の生活においてそのまま実践しようとしても、なかなかむつかしい点があ
るが、その思想としての完結性、安定性は比類がない。わたしは、ふかく
その魅力にひかれている。…

などということに、僕自身のこのいい加減な生き方にも、もしかして一片
の理があるのかも知れないと、思わず買い求めた。
そんな生易しいものではもちろんなかったが、力を抜いて、深い息をして
生きていけばなんとかなる、と考えた。


そして、怖いモノがなくなり、転職にも後押しをしてくれ、
その後の人生のあらゆる節目でこの本は僕のトランキラーザー
でもあり、強力なビタミン剤にもなってくれた。

欧米一辺倒、経済価値優先ではない考え方を教えてもらった。
情報化産業社会という未来予測も覗えた。
自分の能力、無能力レベル、限界点を知ることを教えてもらった。
人材、曰く「材」になってもつまらないことを教えてもらった。
「いい加減」を探す能力を養うことを考えるようになった。
そのためには何をどうするかを考えるようになった。
決してひとりで難しいことをやらないようになった。
手柄はひとに向けるようになった。
黒子に徹する心地よさが分かるようになった。


先生の言い放ってしまうような持論、持説の展開はとても
さわやかで心地がよかった。

まさに21世紀に受け継がれるべき知的(世界)遺産だ。

こころより、ご冥福をお祈りしたい。合掌。

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