2010年7月15日木曜日

いよいよ、全英オープン開幕。

きょう夕方5時20分にスコットランド、セントアンドルース・オールド
コースを石川遼は、メジャー通算8勝・昨年2位のトム・ワトソンと
過去2度優勝しているハドレイク・ハリントン(アイルランド)と回る。

セントアンドルースのクラブハウスの中は博物館
(77年に翌年開催地下見として訪問)

のどかなコース上

ことしはどんなドラマが待ち受けているのか。

トム・ワトソンといえば、昨年はスチュワート・シンク(当時36歳)
とプレイオフの末、2位という接戦を演じた。


僕が衛星中継に立ち会うため全英オープンに行ったのは、
1977年のターンベリーゴルフコース(アイルサコース)だった。

この年は青木功選手と、前年の76年にクォリファイから挑戦し本戦で10位と日本人で過去最高位(現在は丸山茂樹の4位か)で終了した鈴木則夫選手が決勝ラウンドからの出場権を初めて得ていた。
彼らに触発されたか、金井清一選手と沼沢聖一選手がクォリファイから挑戦することになっていた。

僕たちの仕事といえば、決勝ラウンドで青木、鈴木両選手が好位置につけ、日本での視聴率アップに繋がるようアテンドすることにあった。
もちろん金井、沼沢選手のアテンドもした。

 これは当時の  ID だったか?





当時4大メジャーに日本選手が出場するということは稀有だった。

前年のマスターズの生中継か続き、
初めての全英オープンの生中継  ということで、僕たちは出場選
手をフルアテンドするということがミッションであった。


大会本部テント
グラスゴーやロンドンへ行くヘリポート

BBCの中継局



もうひとつの大事なミッションは番組提供クライアントのアテンドで
あった。


ターンベリーから80㌔北のゴラスゴー空港への出迎え、見送り
だけでも英国製フォード・カプリでいったい何往復しただろう。



グラスゴーからの途中、朽ち果てた古城が点在


長閑な風景


まず、ターンベリーゴルフコースの近所の大きな農家の母屋を借り
切り、ロンドンから料理の上手な日本人女性とそのアシスタントを
お願いして、特に日本選手に日本食を振舞ったのだ。

借り上げ宿舎での選手の夕食風景

僕とその当時同僚だったジャックほかは、J 航空にお願いし日本から
秋田こまちや神戸牛をシコタマ持ち込んだのだ。


しかし、鈴木選手は26位、初出場の青木選手は敢えなく予選ラウン
ドで敗退だった。
金井選手は1打差でクォリファイ敗退。沼沢選手も敗退。

がっくりきてしまった覚えがある。

ことほどさように、特に4大メジャーで勝ち上がるということは日本選
手にとっても至難の技で、ましてやシーサイド・リンクスで行われる
全英オープンは素人が見てもコースそのもののハードさ(ゴルフコー
スではなくただの野っぱらの印象)、厳しい気象の変化、全英帝国の
重圧、歴史の重さ、格式の高さ、これらのプレッシャーを跳ね除ける
パワーがあるか、鈍感かでないと無理だとも思ってしまった。

ターンベリーのコースは2/3がラフ、それもゴースとも呼ばれるブロ
ッコリーの親方みたいな植物が両サイドびしーっと生えているような
ところもあれば、グリーンサイドのバンカーの上の芝が強風にたなび
いていて、一度後ろに打たなければONは無理のようなところとか、
なにしろ、牧童が羊の凍った糞を杖で転がしながら遊んだところから
発祥したスポーツといわれることがそこここでうかがえる。


僕たちが借りた農家の大きな納屋(兼倉庫)を見せてもらったが
そこには縄で束ねた古いゴルフクラブが何束もあった。
このクラブは柄(シャフト)の部分はヒッコリーのようなウッドで元は綺麗
であったろうと想像できるものだった。
アイアンのヘッドは錆び朽ちているものもあっただ、まだちゃんと原型を
留めているものが殆どであった。
家主に聞くと、代々のもので中には優に100年、それ以上のものもある
とのこと。

これを聞いた我が社長は、『このうちきれいなクラブを20本くらい譲って
もらいなさい。』、僕たち『いったい何に・・・?』、『いいから!』・・・。
(交渉経緯は知らないが、もしかすると頂けたのかも知れない)

そのモノたちは、帰国後 T 百貨店に持ち込まれ、シャフトはサンディング
されニスが施され、アイアンも綺麗に錆が落とされ、それぞれグリーンの
布地を貼ったそれは立派な額装の上に、エンブレムも貼られ、その真ん中
鎮座ましますことになった。

そして、これらはお世話になった方々に【The Open】の放送記念として
贈られることになった。
それはそれはとても好評であった。
このアイデアには、機転にはいつもであるが、感心してしまった。

どこでも、古きよきものは納屋を探せ! (骨董屋の鉄則?)


しかし、ニクラウスにしても、ワトソンにしても、グリーンにしても、ワイ
スコフにしても、ノーマンにしても、このThe Open は特別で、この大字
スコットランドの片田舎へ必ず家族同伴でくるのだ。
やはり、全英に出場できることは何といってもプロゴルファーの栄誉
なのだろう。


77年のワトソンVS.ニクラウス最終日18番ホールの死闘
本当に凄かった。見ごたえがあった。
もう、今までの苦労は吹き飛ぶくらいのゴルフの醍醐味を教えてくれ
た。・・・

『ターンベリーは1977年に、全英オープン開催のリンクスコースとして
デビューしたが、この時はトム・ワトソンがジャック・ニクラウスを
36ホールにわたる死闘の末下し「Duel in the Sun.(真昼の決闘)」として
知られている。
この時、ニクラウスは決勝二日間を65-66でフィニッシュしたが、
ワトソンは65-65で回ったもので、実に3位になったヒューバート・グリー
ンはそこから10ストロークも離されていた。』

その日の18番ホールの観客スタンド



18番ホールの練習風景


その優勝者ワトソンが、去年同じターンベリーで59歳にしてプレイオフまで
持ち込んだのは凄いし、石川遼はその還暦のワトソンと回れるのだ!
これ自体がなんという栄誉なことだろう。




******77年のちょっと恥ずかしい僕のエピソード******


青木功選手をグラスゴー空港まで出迎えた日のこと。

僕と同僚だったジャックはフォード・カプリで80㌔ドライブして迎えに行く。

空港に着き、青木さんを待つ。
青木さんは登場するも、だいぶ浮かぬ顔!

僕たち 「青木さん、おつかれさまでしたー!・・・どうかしましたか?」

青木さん 「いやー、ごくろうさん。でもねー、僕のクラブが出てこないのよ!」

ジャック 「ほんとうですか! ちょっと聞いてきますよ。」

(しばらくして)
ジャック 「どうも、アムステルダムでBAに乗らなかったみたいです。いま確認
     できましたから。J 航空が責任をもってあすの一便でここに届ける
     そうですから安心してください。またあすピックアップに来ますから。」

青木さん「 そー、わかったよ。どうせきょうは疲れてて練習なんかできないし。
     でもあしたはなるべく早く頼むわ。」

ジャック 「わかりました。じゃー、ターンべリーに向かいましょう。」

僕 「青木さん、お腹は大丈夫ですか?2時間弱のドライブですが。」

青木さん 「分かんないけど、いまはいいなー。」

僕 「じゃー行きましょう。」

(1時間くらいドライブしたところにドライブインを発見したので)
ジャック「喉渇きませんか?ちょっと寄りましょう。」

青木さん 「いいよー。」

(以外や青木さんは、飲み物のほかにでかいハンバーガーとスープを
注文した)

(食べ終わり、再び一路ターンベリーへ)


コース近くを走る列車


   ターンベリーのクラブハウス&ホテル

(ターンベリーに無事到着し、青木さんはチェックインし、ジャックが部屋まで
チェックのため荷物を運ぶボーイに同行)

(青木さん、ロビーから正面のコースを見る。その前にあるショートコースを発
見して戻って来て、)
青木さん 「あのー、身体がなんだか固くなっちゃったので、そこのショートで
      ちょっと解すかな。ウェッジとパター借りてくれる?」

(きっと、グリーンを見た途端にプロ根性がムクムクと顔を覗かせたのだろう。)

僕 「わかりました。たのんできます。」

僕 「青木さん、15分ほど待ってほしいとのことです。」

青木さん 「・・・? 15分ねー。わかった、ここに座って待つかナ。」

(そのロビーはコーヒーショップを兼ねていた)

(少し待つと、黒いワンピースに白いエプロンをしたバーバラ・ストレイ
ザンド似のウェイトレスが、)
ウェイトレス「ディスイズユアオーダー、サンキュー!」
(といって、サンドウィッチと銀のバターケースを置いて立ち去る)

(あたりに客はなく、我々ふたりだけ!ここにだ!なんかいやな
熱いモノが吹き出す感じ)

僕 「えー、What?・・・」
(彼女はにこっと笑って、行ってしまった。)

青木さん 「あららー、なにかなー、これは・・・?さんどいっちー?
     僕はもう喰えないよ!さっきいっぱい喰っちゃったしさ。」(ニカッと)

青木さん 「あのさ、あっちの柱の陰にあるの貸しクラブだと思うよー。」

(ひえー!さすが、プロだ!)
僕 「げーっ、ぜんぜん気がつきませんでした。すみませーん。」
(急ぎカウンターに行き、カウンター君を連れてその柱まで行き、2本
ピックアップし、慌てて青木さんに渡す)

(そこへジャックが戻ってきて、)
ジャック 「・・・何かありました?」

青木さん 「いやーなンも。でもそのサンド二人で喰っててなナ。
      ちょっといってくっからさー(くくくっ)。」

ジャック 「・・・・・・?」

僕 「(完全に失語症・・・)」


* よくよくジャックが識者に聞いてくれたら、
スコットランドでは<サンドウェッジ>は
 通常<サンドクラブ>というそうな。
 それじゃ、パターは?それはパター!だ。
爆発音のきついスコティッシュにならったばかりに!
発音をイキがっていて恐らく【バラー】に近かかったのだ。

 どこの国にサンドウィッチにバターをぬるヤツがいるのか!
悔しいから僕はぬりましたよ!
 隣りでジャックは合点がいったか、大笑い。

この話は、たちまちターンベリーいた日本人たちの
恰好な話題のエサになってしまった。 

 それからは、もちろん英語の達人(Native)のジャックに
通訳はお任せいたしました!
でも、そのジャックもスコティッシュ英語には
難儀をしていたことは事実だった。

しかし、 
もしかして、ひょっとして途中から、僕は青木さんに
イジられたしたら、それは絶妙!

そして帰国後、青木さんは僕に内緒で
アサヒゴルフか何かのインタビューに
この話をし、記事になったそうな・・・。
 




そしてその晩
話を聞いた、
優しい金井選手は
そのあと、ホテルの部屋で
僕に【パター】の打ち方を
伝授し
慰めてくれたのでした。











* このストーリーは事実に基づいて構成され、
セリフは脚色されている。

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2 件のコメント:

  1. 実は僕もバブルの余韻がまだあった頃、1990年イギリスのシルバーストーンにF1を見に行ったついでに(出張で)、The Openをセントアンドリュースに見に行ったことがあります。予選ラウンドをかいま見ただけですが、セベバレステロスやニックファルドの姿を見てきました。夏の天気のいいスコットランド。エジンバラの町は最高でした。もう20年前です。夏の奄美も最高です

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  2. Mr.Blue Tree、先日のスタンディング・レースは3位だったようで、おめでとう!!こちらもKonaに向けて気合いだけは入っているんですが・・・(笑)。書きませんでした、セントアンドルースはあの時1ラウンドしたのですが、165か6でした。その上アイアンのシャフトを1本曲げました。秋にチャンスがあったらそちら行きたいと思っています。

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