今から14年も前の、1996年11月。
新宿の三越美術館で開催された
「田中一村の世界」展を観にいった。
先日、NHKラジオ「Radio Vitamin]を聴いていたら、その田中一村の
画軸が2点、千葉で発見されたという、ニュースが流れていた。
一村は明治41年(1908)年に栃木で生まれ、7歳にして児童画展で文部大
臣賞を受賞し、世間では神童と騒がれた。
大正15年には東京美術大学(現東京芸大)に入学(日本画)するも、結核
と父の病で3カ月で余儀なく中退。
同期には、東山魁夷、加藤栄三ら英才ぞろいであった。
その後昭和22年には青龍展で初出品、初入選するも、川端龍子と意を違
い、以後中央画壇と一切接触を断ち、孤高の画家となる。
昭和33年暮れに奄美大島に移住し、大島紬の染色工をし生活費を稼ぐ。
生涯独身を通し、その生活は想像を絶する孤独と焦燥との戦いの日々。
絵を描くことだけに集中する生活であった。
そんな生活のためか、晩年は不整脈に悩ませられながら制作活動を続けたが、昭和52年11月に不帰の人となった。享年69歳という若さで。
(当時の、田中一村の世界展のパンフレットを一部抜粋)
しかし、そのような貧苦と闘いながら描いた作品に、僕は感動と驚嘆、そしてあの何処か日本画とは思えぬダイナミックでトロピカルな表現に共感さえ覚えた記憶がある。
懐かしく当時の図録を開けた。
奄美での代表作である大作「アダンの木」や
「クワズイモとソテツ」は勿論だが、
島民の生活ぶりなどを描いた作品には、
彼自身の貧苦の生活が覗われない、島への愛情に満ち溢れていて微笑ましさ
さえ感じた。
奄美には、りっぱな田中一村記念美術館がある。
その意味でも、奄美にはいつか行きたいと思っている。
8月には千葉市美術館で、この画軸も含めて公開される予定。
また田中一村に会える、楽しみが増えた。
2010年5月12日水曜日
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